す2017年3月4日6:30、ヨルダンの至宝「ペトラ遺跡」へ。ペトラ遺跡行きのツーリストバス「ジェット・バス」は首都アンマンのダウンタウンの西北4〜5kmのところにあるオフィスからの出発です。朝早いのは日帰りの観光客が多いためです。片道10ディナール(1610円)。ちなみにペトラ遺跡がある街「ワディ・ムーサ」へは公共バスも1日に5便あり、7ディナール(1130円)です。
9:30、ペトラ遺跡前に到着。ここには私が泊まろうと思っていたホテルの車が迎えに来ていました。予約はしていません。
宿は「バレンタイン・イン」ドミトリー4ディナール(640円)、遺跡までの無料送迎があります。朝食とランチboxは2.5ディナール(400円)でまあまあ。夕食は5ディナール(800円)で一応ブュッフェ・スタイルですが、肉料理が少なかったです。ここは高台にあるので街(ワディ・ ムーサ)の見晴らしが良いです。
山の向こう側にペトラ遺跡があります。
「ペトラ遺跡」は紀元前6世紀頃からここに住み始めたナバタイ人(古代アラブの遊牧民族)が通商やここを通るキャラバンの通行税などで繁栄し、主に紀元前1世紀〜紀元後1世紀に建造されたナバタイ王国の首都の遺跡です。その後ローマ帝国の支配下になり、そして363年の大地震で壊滅的な打撃を受けました。その後は次第に衰退し、いつしか忘れられていました。1812年にスイス人探検家によってここの存在が伝えられ、今では世界的に有名な観光地になり世界遺産です。入場料は1日50ディナール(8000円)とメチャ高ですが、2日券は55ディナール、3日券は60ディナールと割安になります。広大な敷地なので私は2日間行きました。
まずは入場してしばらく歩き、遺跡への入口となる有名な渓谷の道(シーク)へ向かいます。その途中にもポツポツと見どころがあります。
精霊が宿るとされる墓「ジン・ブロックス」二種。
エジプトの影響が見られる「オベリスクの墓」
「渓谷の道(シーク)」は1.2km続く奇岩の間の狭い通路で、エル・ハズネ(宝物殿)まで約1時間歩きます。ちなみにペトラとはギリシャ語で「岩」という意味です。ペトラの砂岩は色々な鉱物を含んでいるため、時間によって様々な美しい色合いを見せてくれます。
シーク入口。
道の両側には水路跡が残っていて、ナバタイ人が治水にたけていた事がうかがえます。右が飲用水で左が灌漑用水です。
洪水予防のダム。
象のモニュメント。
壁がん。
キャラバンの像。
岩のすき間にペトラのハイライト「エル・ハズネ(宝物殿)」が見えて来ます。エル・ハズネはナバタイ王国最盛期の王(紀元前9〜後40年)が建造した墓または葬祭殿であったとされています。高さ45m、幅30mのファサード(表面の建築装飾)は岩山の壁面を上から下へ削りながら造られていて、エジプト、ギリシャなどの影響も受けています。ファサードに比べて内部は質素な造りのようですが、今は入場禁止です。
ファサードの上部。
上部の中央にある納骨壺とイシス神。イシス神はエジプト神話の女神です。
イシス神。
納骨壺。ここに宝が隠されていると思ったベドウィンの銃弾の跡が残っています。
エル・ハズネから右手に進むと、広い「ファサード通り」に出ます。通りの左側には岩山に彫られた岩窟墓群が並んでいます。
土産物屋と。
ベドウィンと。
小さな墳墓群。
ファサード通りを少し行くと、左手に「ローマ円形劇場」があります。ここは宗教儀式の場として使われたらしく、上部にある穴は遺体保存用だったようです。45段の席は岩を削って造られています。
席は岩を削って造られています。
ローマ円形劇場の先、右手の高台に「王家の墓」と呼ばれている岩窟建築群が並んでいます。が、神殿や宮殿などの説があるようです。
右端にある「壺の墓」
壺の墓の内部。天井の岩肌がきれいです。
王家の墓の前から西方に「柱廊通り」が延びていて、ペトラの中心でした。長さ225m、幅10mの柱廊通りの西端に「凱旋門」があり、ここから先は聖域でした。
凱旋門。
凱旋門の先にある聖域にはペトラで最も重要とされる神殿「カスル・アル・ビント」がありますが、保存状態は悪いです。地震の多いこの地域の対策として、外壁のれんがの間にクッションとして木の板がはさんであります。
柱廊通りの中ほど左手(南側)に「大神殿」があります。集会場などとしても使われていたと考えられています。
六角形の床石が敷かれています。
柱廊通りの右手(北側)には「ペトラ(ビザンチン)教会」「青い教会」などがあります。ペトラ教会はナバタイ人の建物をビザンチン時代(530年頃)に転用したものです。
青い教会の青っぼい円柱はエジプト産の花崗岩が使われています。
青い教会から「王家の墓」を望む。
ペトラ教会に残るモザイク。
ペトラ遺跡は広大で岩山の建造物は素晴らしいのですが、表面(装飾のファサード)と比べて内部に何もない所が多くて期待はずれの感じがぬぐえません。エジプトと比べるのは無理がありますが、芸術性もやや低いように感じました。入場料も高いです。
次回(4/5予定)は今回の旅(2016/9/30バルト三国エストニア〜)の最終回で、ペトラ遺跡の続きとアンマンからの帰国です。
ありがとうございました。