「ナゴルノ・カラバフ共和国」は国際的には未承認国で、アルメニア共和国のすぐ東側のアゼルバイジャン領内にあります。京都府位の広さの山国で、アルメニアと同じくキリスト教文化圏です。アゼルバイジャンはイスラム圏です。ちなみにナゴルノ・カラバフはロシアやアゼルバイジャンの呼び名で、アルメニアではアルツァフ(ARTSAKH)で、「アルツァフ共和国」となります。
旧ソ連時代はアゼルバイジャンの一つの州でした。ソ連が崩壊してアゼルバイジャンとアルメニアが独立した時に、アルメニア系の人が多かったナゴルノ・カラバフはアルメニアに編入しようとしましたがかなわず、共和国として独立宣言をしました。以前からアゼルバイジャンとはトラブルがあった為に戦争になり、その後停戦状態で今に至っています。時々紛争があり、2016年と2020年には大きな軍事衝突が起こり領土の一部がアゼルバイジャンに奪われました。私が行ったのは2018年12月24日~28日でした。
「ナゴルノ・カラバフ共和国」の入国にはビザが必要です。アルメニアの首都エレヴァンの大使館で取得出来ますが、国境で申告して入国後、首都ステパナケルト(ハンケンディ)の外務省で受理できます。パスポートに記録が残るとアゼルバイジャンに入国できないので、ビザは別紙になります。21日間有効で3000ドラム(720円)。 通貨はアルメニアと同じドラム(AMD)です。
ギザギザのある方がナゴルノ・カラバフの国旗です。アルメニア国旗と一緒に掲揚されている場合が多くあります。
ビザ 発行年が間違っていました。
「ナゴルノ・カラバフ共和国」へはアルメニアの首都エレヴァンの中央バスターミナルからミニバスがあります。約6時間。私は前回のブログに載せた地方都市ゴリス発のミニバスで首都ステパナケルトに向かいました。約2時間、2000ドラム(480円)。国境でパスポートチェック後、アルメニア系勢力の実効支配下のアゼルバイジャン領(ラチン回廊)を走ってナゴルノ・カラバフに入ります。アルメニアの出入国チェックはありません。
国境。
首都ステパナケルト(ハンケンディ)は標高約1000mで、そんなには大きくはないですが首都らしく整然とした街でした。 宿は「Raffo and Karine G.H」ドミトリー3000ドラム(720円)。1人だった為か暖房がなく、キッチンも外にあったので寒かったです。
場所は忘れましたが観光案内所があり(バスターミナル内?)、地図付きパンフレットがもらえます。
官庁の国章と国旗。
街はずれにある有名な「我らの山」のモニュメント。像は老夫婦との事で、別名「じじ・ばば像」
パン・ピザ屋。美味しくて安く、重宝しました。
「ガンガサール修道院」へ。13世紀創建。首都ステパナケルトの北40kmのVank村にあり、ミニバスで約1時間、800ドラム(200円)、朝9時発の1日1本だけでした。(帰りは14:30) バスチケットはターミナル内の窓口で買います。そしてチケットに書いてある車のナンバープレートの数字でバスを探して乗ります。座席指定でした。Vank村到着後、山の上にある修道院まで約1時間歩きます。
聖堂入口。
菊の紋章に似ています。
アルメニアも含めて、写真付きの墓石を多く見かけます。
ステパナケルトのとなり街「シューシ Shushi」へ。南方面の山を登った高台にありバスターミナルから301番のバスで30分。シューシはかってアゼルバイジャン系の人が住んでいた街で、戦争で追放されました。そして一部の廃墟がそのままで残っています。2020年の紛争で再びアゼルバイジャン領になったらしいです。
最初にバス停から見えた廃墟に行って写真を撮っていたら、突然兵士にカメラを取り上げられて拘束されました❗❗❗ よく見ると軍の施設でした。しばらくして私服の上官が来て解放されましたが、私の人生で一番のビックリでした。
イスラム教のモスクも廃墟になっていました。
このミナレットは頂上まで登れました。
首都ステパナケルトの市場。
チョウザメも食べられているようです。
肉屋のネコ。
ゴミとネコ。
クリスマス前。クリスマスはアルメニアと同じく1月6日です。
次回(6/15予定)はアルメニアに戻り、2つの世界遺産の修道院がある「アラヴェルディ」へ。
ありがとうございました。