70歳現役バックパッカー世界一人旅  写真日記

こんにちは〜コロナ禍で旅にも出られずヒマなのでブログを始めました。現在から1970年代 (沢木耕太郎の深夜特急の時代) まで遡ろうと思います。暇があったらのぞいてください。

(233)2009年12月「西アフリカの旅」マリ共和国「ホンボリ村」その2

2009年12月「西アフリカの旅」、マリ共和国「ホンボリ村」の続きです。
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朝の「ホンボリ村」。
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「水汲み」は女の子の仕事です。
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 「火曜市(マーケット)」。街道沿いでの家畜の取り引きが主で、周辺の村から様々な民族が集まります。
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夕方に村中が人でいっぱいだったので何事かと思ったら「結婚式」でした。すべての村人が集まったような賑わいでしたが、私に時間がなくてメインの会場には行けませんでした。
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 12月21日夜、近くのホテルでビールを飲んでいたら、10月22日にマリ東部の街「ガオ」からニジェールの首都「ニアメ」に向かうバスの中で出会った、大阪の国立民族学博物館から少数民族の研究で派遣されていた学生と2ヶ月ぶりに再会しました。彼はこのホテルに泊まっていましたが、彼はニジェール国境近くの村に入り込んで、1年間の研究をしているはずでした。話を聞くと、最近「ガオ」周辺でトゥアレグ及びイスラム過激派による外国人への襲撃事件が多発し、日本大使館から退避勧告の連絡があったそうです。私が行ったトンブクトゥを含むマリ北部は危なくなっていましたがガオは想定外でした。私がコートジボワールからマリに戻る時、途中で寄ったベナン(コトヌー)からニジェール(ニアメ)→ガオ→ホンボリのルートも選択肢のひとつだったのでビックリでした。彼の研究は1年間を全うしないと、掛けた費用が支払われなくなるそうで、彼はホンボリの近く、またはその他の地域で同じ少数民族の研究を続けるつもりだと言っていました。私は翌日の朝にモプティに向かって出発したので、彼と話したのはこの夜の数時間だけでした。
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2012年からマリ情勢はより厳しくなり、2013年にフランス軍が介入しました。が、2022年には完全撤退となり、代わりににロシアが介入しましたが、進展もないまま現在に至っている模様です。観光的で人が良く、私が西アフリカで一番気に入っていた「マリ共和国」が、この様な状態になったことは非常に残念な思いです。

 

次回は「マリ共和国」第2の都市「モプティ再び」です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

(232)2009年12月「西アフリカの旅」マリ共和国「景勝地ホンボリ」

2009年12月17日、「コートジボワール共和国」から「ベナン共和国」を経由して、再び「マリ共和国」に入りました。
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そして12月19日、「マリ共和国」中部の街「セヴァレ」(モプティのとなり町)からガオ行きのバスに乗り、途中にある景勝地「ホンボリ」へ向かいます。
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バスは11時発でしたが出発する気配がまったくありません。乗客はバスにも乗れず思い思いの場所で待っています。最初は乗客が集まらないからだと思っていましたが、、予約をしていた1つのグループの到着が遅れているためでした。そして、5〜6人の女性グループがやって来たのは3.5時間後でした。そして、女性グループを先頭に50〜60人の乗客がバスに乗り込みます。マリでは予約した順番にバスに乗り込みます。そして4時間遅れの午後3時にバスは出発しました。乗客で文句を言う人はなく、女性グループはバスに乗れたためかはしゃいでいる様に見えました。そこには民族格差があるかも知れません。バスは超満員でした。これがアフリカです。料金は5000CFA(1055円)。

ホンボリに近づくと暗くなっていたので、数10km続く断崖や平原の奇岩など素晴らしい景色は見られませんでした。

21:00「ホンボリ」着。街道沿いで降ろされましたが、ここには電気・水道がまだ来ていないので真っ暗です。安宿を探しながら街道をしばらく歩いていたらホテルのオーナーと出会い、近くの彼の宿に行きました。

「ホテル&キャンピング Kaga Tondo」ルーフ(2階の仕切りのない部屋)に3000CFA(633円)を2000CFA(422円)に値切って泊まりました。ちなみにちゃんとした部屋は6000CFA(1266円)で、4000CFAになりました。電気がないので「ランプ」で、水道もないので「バケツシャワー」です。頼めば食事も摂れ、朝500CFA(106円)、夕1500CFA(317円)でした。冷えたビール大びん1200CFA(253円)も飲めましたが、近くの発電機のあるホテルで買って来た物のようでした。あとで、ホテルに行って飲んだら1000CFA(211円)でした。このホテルのシングルルームは4000CFA(844円)、キャンプは2500CFA(528円)と安かったです。
f:id:Seita75851833:20260609101622j:image                     
宿の2階テラスより。「ホンボリ村」は右手の丘の向こうにあります。丘と宿の間には幹線道路が通っています。


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f:id:Seita75851833:20260609101653j:image                     宿の炊事場。アヒル(カナール)の炊き込みご飯は美味しかったです。1500CFA(317円)。

 

「ホンボリ」は「旅行人ノート・アフリカ」には載ってなく、定期発行の雑誌「旅行人」に、特集として地図屋富永省三氏の記事が載っていました。ちなみに「旅行人」は廃刊になっています。

街道沿いには400m位にわたって商店や小さいホテル、食堂などが並んでいるだけでした。ソーラーでの充電屋があり、小型デジカメで500CFA(106円)でした。
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f:id:Seita75851833:20260609102704j:image                     「バス停」丘の向こう側が「ホンボリ村」。

 

「ホンボリ村」は街道の南側にある丘の上に広がっていて、下(道路)からは見えません。階段状の道があります。

f:id:Seita75851833:20260609103111j:image                         丘を登る階段より。


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f:id:Seita75851833:20260609105028j:image                    階段を登ると景色が広がります。

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子供達はフレンドリーで写真を撮っていると集まって来ます。写真を撮らせてもらったらアメ玉をあげるようにしていますが、人数が多いと取り合いになるので注意です。
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女の子に家まで案内してもらい、家族写真の撮影です。家々の間は迷路のようになっていました。住所を教えてもらったので日本から写真を送りましたが、届いたのかな?
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次回もマリ共和国「ホンボリ村」です。
ありがとうございました。



(231)2009年12月「西アフリカの旅」「マリ共和国再び」

2009年12月「西アフリカの旅」、「コートジボワール共和国」から「ギニア共和国」へ向かおうと思いビザも取得しました。が、アビジャンの日本大使館で情報収集をしたところ、ごく最近(12月3日)ギニア大統領が暗殺未遂に遭って重傷を負い、モロッコの病院に入院しました。その為、1年前に前大統領が亡くなってから不安定だった国内状勢がさらに厳しくなったと思われ、新聞記者でもないので「ギニア共和国」行きは中止しました。ギニアと共に「シェラレオネ」「リベリア」行きも難しくなりました。
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そして考えた末、飛行機で「マリ共和国」へ再び行く事にしました。「ベナン共和国」に用事があったので、ベナンのコトヌー経由にして、チケットはアビジャン市内の旅行代理店に頼みました。
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問題はマリとベナンのビザですが、いずれも午前申請午後発給だったので2日間で取得出来ました。ちなみに料金はマリ共和国が30日シングルで25000CFA(5275円)、ベナン共和国は同じく20000CFA(4220円)でした。ベナンは空港でのアライバルビザも可能でしたが、確実性を考えて取得しました。また、申請書はフランス語でしたが、どちらの大使館にも英語が出来る利用者がいて親切に教えて貰えました。記入は英語です。

 

12月12日10:20アビジャン国際空港発、「ベナン共和国コトヌー」行き、「モーリタニア航空」。この飛行機はモーリタニアの首都ヌアクショット発でコンゴ共和国の首都ブラザビル行きでした。
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下町のトレッシュビルから空港までは市バス06番で約45分、200CFA(42円)。空港では「荷物が多くて困っている家族がいる、荷物のチェックインで助けてくれないか?」と言われ、もちろん断りましたが、セネガルのダカール空港でも同じ事がありました。

 

12:30「ベナン共和国」コトヌー国際空港着。時差1時間、飛行1時間10分。入国イミグレでは女性係員から5000CFA(1055円)のワイロ要求がありましたがやんわりと断りました。アライバルビザ申請だったら払わされていたかも? 

空港から市内まではバイクタクシーで400CFA(84円)。

「ベナン共和国」の前回(11月)のブログは(222)(223)です。

12月17日19:30コトヌー国際空港発、「マリ共和国首都バマコ」行き、「Airマリ」。出国時にまたまたワイロ要求がありました。「一応言ってみようか」の感じでした。陸路などで本当にワイロが必要なところもあるので注意でず。

機内ではまあまあの機内食が出ました。ビールも飲めましたが冷えてなくて、氷入りのコップをくれました。

 

20:30「マリ共和国」バマコ国際空港着。飛行2時間、時差1時間。入国審査は簡単でしたが、検疫では今回の旅で初めて「イエローカード」のチェックがありました。

外は暗くなっていました。空港からはタクシーだけのようでしたが、少し歩いたらバイクタクシーがありました。バスターミナルまでの料金を交渉しましたが、1500CFA(317円)までしか下がりません。そのうち、ガイドらしい男性が来て「夜行バスはもうない。安くするから家(うち)に来て泊まりなさい。朝にバスターミナルまで送るから」と言われ、不安でしたが、彼の雰囲気で大丈夫そうだったので、彼のバイクに乗って行きました。彼はマリで1番大きい旅行会社のガイドで、私がバイタクのドライバーと言い合っているのを見て、職業柄声をかけてくれたのでしょう。家は大きい敷地に多くの部屋が分かれてあり、大家族が住んでいるようでした。私はガイドの弟の部屋に泊まりました。弟は大学を卒業したばかりでしたが仕事がなく、勉強を教えるアルバイトをしていました。泊まり賃3000CFA(633円)は弟に払いました。

 

12月18日6:00、ガイドにバイクでバマコの「ソコニコ・バスターミナル」まで送ってもらいました。彼とはこのあと、モプティとドゴン村で再び出会いました。


私は「ガオ」行きのバスで景勝地「ホンボリ」へ行こうと思っていましたが、バスが満員だったので今日は手前の街「セヴァレ」まで行ってそこで1泊する事にしました。
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7:30「ソコニコ・バスターミナル」発、8000CFA(1688円)。

17:00「セヴァレ・バスターミナル」着。ここは「ドゴンカントリー」に近いのでガイド希望者が寄って来ました。その中の1人と話したら、私が「ドゴン村トレッキング」の時に雇ったガイド「アブライ」の友人でした。よって、彼には近くの安宿と明朝のホンボリ行きバスガ出るオフィスを教えてもらいました。

 

宿は「Hotel Via Via」屋上での自前テント泊で3000CFA(633円)、マットとシーツは貸してくれました。ちなみにドミトリーは5000CFA(1055円)でした。
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「セヴァレ」はマリ第2の都市「モプティ」のとなり町で、ドゴンカントリーの中心地「バンディアガラ」への出発地のひとつです。

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セヴァレ・バスターミナル近くのホテルからの眺め。湿潤なギニア湾沿岸部からサハラ砂漠南端部の乾燥地帯に再びやって来ました。
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f:id:Seita75851833:20260606152003j:image                     砂漠の民「トゥアレグ族」。

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次回は「マリ共和国」の景勝地「ホンボリ村」です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

(230)2009年12月「西アフリカの旅」コートジボワール共和国「アビジャン」

2009年12月、16日間滞在した「ガーナ共和国」から「コートジボワール共和国」の最大都市「アビジャン」に向かいます。コートジボワールは「5か国共通ビザ」に含まれるので、ビザ取得の必要がなくて楽でした。
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12月3日8:00、3泊したガーナの「セコンディ・タコラディ」からミニバス(トロトロ)で国境の街「エルボ」へ。2時間15分、4.15セディ(278円)。アビジャン直行の小型バスがありましたが、乗客が集まり次第の発車で、国境の手続きでも時間がかかる可能性があるので使いませんでした。

ガーナ出国は簡単で、余ったガーナ通貨セディの両替も可能でした。

そして、コートジボワールの国境の建物は見えていた(4〜500m)ので歩いて行こうとしたら、ガーナイミグレの係員に止められ、乗り合いタクシーで行くように言われました、100CFA(21円)。理由は、ガーナとコートジボワールの間の緩衝地帯では強盗が出没する事でした‼️ 係員がいなかったらどうなったのでしょう⁉️

そして「コートジボワール」のイミグレに入ったら、「注射代2500CFA(528円)」を請求されました⁉️ 最初はワイロかと思いましたが、説明を聞いて電子辞書で調べると「髄膜炎」の予防接種でした。接種をしないと入国出来ない様でした。入国審査は簡単で、接種は3年間有効でした。

イミグレを出ると「アビジャン」行きの車探しです。最初に乗り合いタクシー(6000CFA1266円)があったので、そこで乗客が集まるのを待ちました。ところが、車の関係者か他人か分からない男が荷物代1000CFA (211円)が必要などとうるさいので、その車を降りて別の車を探しました。すぐに途中の街「アボロッソ」行きのバスがあり、その後アビジャンまで乗り合いタクシーで行きました。計3500CFA  (739円)と安く行けました。

 

 

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「コートジボワール」とはフランス語で「象牙海岸」の意味です。面積は日本より少し小さい位で、人口は約3000万人で、法律上の首都はアビジャンから内陸に237km北西に入った「ヤムスクロ」です。経済的には西アフリカでは上位に入り、カカオの生産量はガーナの約2倍で世界一です。公用語はフランス語、通貨は「西アフリカシェーファーフランCFA」で、当時のレートは1USドル=96円、1CFA=0.211円です。

また、60もの多民族国家で、独立時からの大統領が1993年に死去すると内乱状態になり、2006年まで続きました。私が行った2009年12月は西アフリカではリベリアに次ぐ危険な国とされていましたが、平穏な状態でした。しかし、約1年後の2010年10月に行なわれた大統領選挙で、決選投票となった二人が共に勝利宣言をして政府を立てたので再び内戦状態になりました。少し前アメリカでこれに近いような事が起こりかけました。内戦は2011年4月にゴネていた方が負けて終わりましたが、昔からの民族対立は続いていくと思われます。

「アビジャン」はコートジボワール最大の都市で人口は約470万人です。ラグーン(潟)によって北部の新市街・官庁街「プラトー」と南部の旧市街・下町「トレッシュビル」に分かれていて、間に架かる「ウフエボアニ橋」によって徒歩通行可能のはずですが、橋の付近は強盗が出没する危険地帯でした。仕方なく、時間がかかる市バスや渡し舟を使う事になります。バスから見ても橋の上には人影はありませんでした。見どころは雰囲気の良い下町と官庁街のビル群くらいです。
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黒丸は危険なウフエボアニ橋と近くの渡し舟です。下が下町のトレッシュビル地区、上方左側が官庁街のプラトー地区です。

 

宿はガーナからの車が着いた下町「トレッシュビル」で「旅行人ノート・アフリカ」を参考に探しました。トレッシュビルの道は碁盤の目状なので分かりやすいです。最初の2軒は無くなっていて3軒目の「Hotel New York」(旧名Hotel Atlanta)へ。Wベッドルーム、トイレシャワー付き8500CFAを7000CFA(1478円)に値切って泊まりました。が、やや暗くて夜がやかましかったので、翌日宿替え。

 「Hotel Le Prince」(Ave21×Rue19)へ。シングル、クーラー・シャワー付き、8000CFA(1688円)。ここは新しくて居心地が良かったです。安いファン部屋7000CFA(1477円)か1室だけありましたが、空きませんでした。
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ホテルの屋上にて。

 
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官庁街の「プラトー」。
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f:id:Seita75851833:20260531164636j:image                     渡し舟。


f:id:Seita75851833:20260531164703j:image                     市バスターミナル。


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旧市街・下町の「トレッシュビル」。ホテルの部屋や屋上から下町の生活が垣間見られました。夕方になると炭火焼き魚の屋台がでます。中型一尾で300CFA(63円)、野菜入りビネグレットソースで食べます。ビールが呑みたいと言ったら、コの字型の小さい集合住宅の中にある飲み屋を教えてくれました。ビール1リットル瓶700CFA(148円)。美味しかったですが写真はありません。
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街路樹が多いです。


f:id:Seita75851833:20260601145832j:image                         夕暮れの雨上がりの道。

 

家の前で団らん。
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家の前で商売。
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コートジボワーの女の子は髪をきれいに飾っていました。

 

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f:id:Seita75851833:20260601112859j:image                     家の前で朝の行水(シャワー代わり)。

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そして、次に行く予定の「ギニア共和国」のビザ(30日シングル70USドル)を取得しました。最初はマルチビザを取って「シェラレオネ」に寄ろうと思っていましたが「218USドル」と高かったのでやめました。そして、民族紛争などで治安の悪いギニア国境付近の情報収集の為に日本大使館に行ったら、ギニア国内で混乱が起こっていました‼️  2008年12月に大統領が死去し、その後クーデターなどで政情が不安定でした。そして、2009年9月28日にデモ隊に軍が発砲して87名が死亡、12月3日(私がコートジボワーに入った日)に大統領が暗殺未遂で重傷を負ったと日本人職員から説明がありました。

さて、どうするか? 悩みましたがギニアは回避し、2回目になる「マリ共和国」に飛行機で飛ぶ事にしました。

 

次回は再び「マリ共和国」です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

(229)2009年12月「西アフリカの旅」ガーナ共和国「ギニア湾沿岸部」その2

2009年12月「西アフリカの旅」、ガーナ共和国「ギニア湾沿岸部」の続きです。

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12月2日、宿泊地「セコンディ・タコラディ」から「ブスア・ビーチ(ココナッツ・ビーチ)」へ。ミニバス(トロトロ)で「Agonaジャンクション」乗り換え、計1.45セディ(97円)。
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ミニバスに乗って出発を待っていたら、小さい女の子の物乞いが来ました。私は小銭がなかったのでアメ玉をあげました。隣のサラリーマン風の男性は、1セディ(67円)のビスケットを買って与えました。女の子はお金の方が良いと言っていましたが、叶わなかったので「サンキュー」とお礼を言い、ビスケットを頭の上にのせて離れて行きました。(アフリカでのひとこま)

 

「ブスア・ビーチ」は1970年代からのバックパッカーのたまり場でした。が、この時は人影はなく、普通のビーチでした。
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ビーチの東側にある小山を越えると「Butre村」があります。
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「Butre村」は観光的な村で「入村料+カメラ撮影代」として1セディ(67円)を徴収されました。撮影代は村人を気兼ねなく撮れるので反対に便利でした。ビーチもあり、しばらく滞在したい気にさせる雰囲気の良い村です。ラグーンのボートツアー(ワニがいるらしい)などのアトラクションもあります。帰りは村からAgonaジャンクションまでミニバスがあります。
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f:id:Seita75851833:20260525100102j:image                     浜辺のバンガロー。

f:id:Seita75851833:20260525100119j:image                         手の込んた作りです。 


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砂浜で地引き網漁があり、捕れた魚を村の女性達が村へ運んでいました。
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村の食堂でビールを昼飲みしていたら、子供達が集まって来て写真撮影会になりました。

f:id:Seita75851833:20260526102339j:image                         ビール2セディ(134円)。街より少し高かったです。

f:id:Seita75851833:20260526102409j:image                         ガーナの観光パンフレット。

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f:id:Seita75851833:20260526102120j:image                     この子は女の子です。


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ガーナビザ申請の時、係員が少し「しぶしぶ」の感じがあったのは、バックパッカーの長期滞在の歴史があったのだと分かりました。ガーナは物価も安くて旅行のしやすい国でした。

 

次回は「コートジボワール共和国」です。

ありがとうございました。

 

 

 

(228)2009年11・12月「西アフリカの旅」ガーナ共和国「ギニア湾沿岸部」

2009年11〜12月「西アフリカの旅」、ガーナ共和国の「ギニア湾沿岸部」です。かっては金などの貿易で栄えましたが、17世紀には奴隷貿易の拠点となり、60か所もの積み出し拠点があり「奴隷海岸」と呼ばれていました。前回の「ケープコースト城塞」もその1つです。また、沿岸部は風光明媚で、ガーナ観光のハイライトのひとつです。
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「ケープコースト」寸景。ガーナは物価が安く、特にケープコーストはのんびりすごせる街でした。夕食の前には飲み屋(バー)でビール大1本(1.6セディ107円)を、街の人々を眺めながら飲みます。そのあと、食堂でスパゲッティ・カレーソースと鶏唐揚げが美味しかったので、3回続けて食べました。が、少しずつ値段が上がりました? 1.3(87円)→1.8→2セディ(134円)。 その分、から揚げの量が増えましたが。
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坂道が多い街です。


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f:id:Seita75851833:20260520112745j:image                       広場で踊っていた女の子。


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「エルミナ」はケープコーストの西11kmのところにある港町で、ミニバス(トロトロ)で約20分、0.55セディ(37円)。ここにも奴隷貿易の拠点だった城塞があり世界遺産です。料金はガイド付きで9セディ(600円)。ここのガイドは優秀で言葉(英語)が分からなくても良く理解できました。また、港のカラフルな漁船群はガーナ随一の規模で見ものです。
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f:id:Seita75851833:20260520113328j:image                         入り口の「吊り橋」。


f:id:Seita75851833:20260520113518j:image                     「牢屋」

f:id:Seita75851833:20260520113539j:image                         地下室には「コウモリの巣」が。

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f:id:Seita75851833:20260520113400j:image                     丘の上にも「砦」があ見学可能です。3セディ(201円)。


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「ビリワ」はケープコーストの東にある小さな漁村で、ミニバスで約15分、0.5セディ(34円)。景色が良くてのんびり出来ると思って行きましたが、村に近い海辺はウンコだらけで幻滅しました。これもアフリカです。
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11月30日、ケープコーストから西77kmのところにある街「セコンディ・タコラディ」に移りました。ミニバスで1.5時間、2.5セディ(168円)。2つの街が合併して、そのまま付けられた名前です。人口約45万人の工業商業都市で見どころは少ないですが、ガーナの西部沿岸部観光の拠点となる街です。
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宿は中心部にある「マーケットサークル」(円形のマーケット)近くの「Amenla  Hotel」シングル12セディ(804円)。古くてやや暗かったのですが、ゆっくり出来ました。

「マーケットサークル」は円形の2階建ての建物に市場があり、2階は外向きにぐるりと様々な商店が並んでいて面白いです。
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1階の市場。


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f:id:Seita75851833:20260522095513j:image                     建物の周囲の物売り。


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f:id:Seita75851833:20260522095549j:image                     伝統療法薬?


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f:id:Seita75851833:20260522095647j:image                     トマト大3個34円。

 

12月1日、セコンディ・タコラディから湖にある「水上村ンズレゾ」に行こうと思い、ミニバスで途中の村「Esiama」へ行きました。しかし、ここからの交通が分かりにくく、諦めて近くの海岸で時間をつぶして帰りました。コートジボワールへと続く海岸線やミニバスからの熱帯雨林の風景はきれいでした。
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f:id:Seita75851833:20260522095833j:image                         海岸に広く積もっていた、小さな貝殻。


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次回も「ガーナ共和国」の「ギニア湾沿岸部」です。

ありがとうございました。

 

 

(227)2009年11月「西アフリカの旅」「ガーナ共和国」その2

さ2009年11月「西アフリカの旅」、「ガーナ共和国」の続きです。
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ガーナ共和国北部の「ボルガタンガ」から首都アクラに行く前に、「旅行人ノート・アフリカ」に載っていた、100km続く断崖絶壁の上にある村(街)「ナクパンドゥリ」に寄ることにしました。

f:id:Seita75851833:20260515094412j:image                       黒丸が「ガル」です。

 

11月21日、まずはボルガタンガから78km東にある「BAUKU」へ。ミニバスで2セディ(134円)。しかし、「ナクパンドゥリ」へのバスはここからは出ていなくて、乗り合いタクシーで「ガルへ行け」と言われました。1.5セディ(100円)。しかし、「ガル」からも車はありませんでした‼️ 聞くところによると去年、この辺りで部族紛争が起こり銃撃戦で死者が出ました。そして、今年8月に再び紛争があり、現在ナクパンドゥリへの道は交通止めで、夜間は外出禁止令が出ていました。安全だと思っていた「ガーナ」でこのよううな事態に出くわしました。引き返すのが無難でしたが、「バイクタクシー」で行けるとの事だったので、15セディ(1000円)とメチャ高でしたが行くことにしました。ところが、山道にさしかかる手前で兵士に止められました。ドライバーが説明をしていましたが、「ワイロ」を要求されました。またまた引き返えそうかと思いましたが、5セディ(335円)だったので進むことにしました。そして急な山道をしばらく登って「ナクパンドゥリ」になんとか到着しました。が、風光明媚だと思っていた断崖絶壁はチラッと見えただけで、もちろん写真はありません。そして崖の上の村からでも、見晴らしの良い場所は見つかりませんでした。

安宿はなんとかありました。「Sillim's ゲストハウス」シングル5セディ(335円)。

村はずれにはアフリカらしいトンガリ屋根の家が並んでいて、この家を見るためにわざわざ来たようなものでした。
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村の幹線道路。


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村をぶらぶらしていたら、小遣い目当てらしい若い男につきまとわれました。しばらく適当に相づちを打っていたら、彼の家に案内してくれました。
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門を入るとトンガリ屋根の小屋が7軒ほど、中央に向かって円形に並んでいて、それぞれに一族が住んでいるようです。


f:id:Seita75851833:20260515101210j:image                     左側が「つきまとい男」です。


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一応彼には、明朝に乗る予定のバスの時間や乗り場を教えてもらったので、安い飯をおごって別れました。

翌11月22日6:00、バスに乗るためにホテルを出たら、昨日の男が待っていました。小遣いが欲しそうでしたが、屋台でカフェオレとフランスパンをおごり、6:30に来たバスに乗り込みました。

中型のバスは中北部の都市「タマレ」行きで、4.5セディ(300円)、約4時間です。バスは赤土の道を窓を開けたまで走るので、「タマレ」に着いた時は全身が赤土のホコリまみれになっていました。

「タマレ」には1泊位しても良いと思っていましたが、面白そうでなかったので、夜行バスで「首都アクラ」に向かう事にしました。しかし評判の良い「STCバス」は満員で乗れず、2等バスになりました。16.5セディ(1110円)、約11時間。昨日今日と散々な目に合いましたが、これがアフリカです。
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11月23日4:00、首都「アクラ」の自社ターミナル着。少し郊外にあり、明るくなってからゆっくりと街なかへ。

宿は安さで有名な「YMCA」へ。ドミトリー3セディ(201円)。個室が5セディ(335円)でありましたが満室てした。学校の様な建て物でロケーションは良かったのですが、仕事をしたり、探しているような長期滞在の若い男が多くいて居心地はイマイチでした。また断水が多く、土ボコリで汚れた服を洗うのガ大変でした。ガーナは乾季の為か断水が非常に多かったです。

「首都アクラ」は約180万の人口を擁する大都市ですが、見どころは少なく、街なかでの写真撮影を嫌がる傾向があったので写真は少ないです。屋台やファストフード店などでの食の選択肢は多くあり、ギネスビールも安く飲めました。日本大使館に「情報ノート」があるとの事だったので行ってみましたが、無くなっていたので少し前の日本の新聞を読んで帰りました。
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「ゴミだらけの川」。乾季なのでこんな状態で、雨季になったらこれが全部海に流れ出るのでしょう。


f:id:Seita75851833:20260515101937j:image                         「アクラ中心部」。少しの品物を持って売り歩いている人が多いです。


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f:id:Seita75851833:20260515102059j:image                     渋滞の幹線道路。

f:id:Seita75851833:20260515102040j:image                     ジェームズタウン地区の「漁港」。


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f:id:Seita75851833:20260515102206j:image                          7月10、11日にオバマ大統領が来ました。ミシェル夫人のルーツがアフリカの黒人奴隷です。

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11月26日、3泊したアクラから、160km西にある「ギニア湾沿岸部」の中心都市「ケープコースト」へ。

乗り合いワゴン車が出る「カネシ・バスターミナル」は少し離れていますが徒歩可能でした。が、乗客が集まるまで1時間待ちでした。車はフォードの新車のもちろん冷房付きで、約2時間、5.5セディ(370円)。
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「ケープコースト」はそれほど大きい街ではないのですが、植民地時代にはここに総督府が置かれていました。街はいくつもの丘に広がっていて坂が多く、街の全体像が分かりにくかつたです。人々は首都アクラと違ってフレンドリーで、過ごしやすかったです。

宿は「旅行人ノート・アフリカ」に載っていた「Sammo G.H」シングル10セディ(670円)、トイレシャワー共同、ファン。街はずれにありたが、きれいで落ち着けました。

「ケープコースト城塞」(世界遺産)は17世紀に木材や金の拠点として建てられ、その後奴隷貿易の拠点となりました。オバマ大統領夫妻と娘二人もここを訪れ、ミシェル夫人には「ケープコーストの女王」の称号が与えられました。入場料は9セディ(603円)でガイド付きでしたが、ガイドがいい加減で、奴隷か出港まで閉じ込められていた部屋は見られませんでした。また必見の博物館は、あとで私1人で探して行きました。

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城塞の東隣には漁村がありました。
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西隣にはビーチがあります。
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次回は「ケープコースト」とギニア湾沿岸部です。

ありがとうございました。