さ2009年11月「西アフリカの旅」、「ガーナ共和国」の続きです。

ガーナ共和国北部の「ボルガタンガ」から首都アクラに行く前に、「旅行人ノート・アフリカ」に載っていた、100km続く断崖絶壁の上にある村(街)「ナクパンドゥリ」に寄ることにしました。
黒丸が「ガル」です。
11月21日、まずはボルガタンガから78km東にある「BAUKU」へ。ミニバスで2セディ(134円)。しかし、「ナクパンドゥリ」へのバスはここからは出ていなくて、乗り合いタクシーで「ガルへ行け」と言われました。1.5セディ(100円)。しかし、「ガル」からも車はありませんでした‼️ 聞くところによると去年、この辺りで部族紛争が起こり銃撃戦で死者が出ました。そして、今年8月に再び紛争があり、現在ナクパンドゥリへの道は交通止めで、夜間は外出禁止令が出ていました。安全だと思っていた「ガーナ」でこのよううな事態に出くわしました。引き返すのが無難でしたが、「バイクタクシー」で行けるとの事だったので、15セディ(1000円)とメチャ高でしたが行くことにしました。ところが、山道にさしかかる手前で兵士に止められました。ドライバーが説明をしていましたが、「ワイロ」を要求されました。またまた引き返えそうかと思いましたが、5セディ(335円)だったので進むことにしました。そして急な山道をしばらく登って「ナクパンドゥリ」になんとか到着しました。が、風光明媚だと思っていた断崖絶壁はチラッと見えただけで、もちろん写真はありません。そして崖の上の村からでも、見晴らしの良い場所は見つかりませんでした。
安宿はなんとかありました。「Sillim's ゲストハウス」シングル5セディ(335円)。
村はずれにはアフリカらしいトンガリ屋根の家が並んでいて、この家を見るためにわざわざ来たようなものでした。

村の幹線道路。










村をぶらぶらしていたら、小遣い目当てらしい若い男につきまとわれました。しばらく適当に相づちを打っていたら、彼の家に案内してくれました。

門を入るとトンガリ屋根の小屋が7軒ほど、中央に向かって円形に並んでいて、それぞれに一族が住んでいるようです。
左側が「つきまとい男」です。


一応彼には、明朝に乗る予定のバスの時間や乗り場を教えてもらったので、安い飯をおごって別れました。
翌11月22日6:00、バスに乗るためにホテルを出たら、昨日の男が待っていました。小遣いが欲しそうでしたが、屋台でカフェオレとフランスパンをおごり、6:30に来たバスに乗り込みました。
中型のバスは中北部の都市「タマレ」行きで、4.5セディ(300円)、約4時間です。バスは赤土の道を窓を開けたまで走るので、「タマレ」に着いた時は全身が赤土のホコリまみれになっていました。
「タマレ」には1泊位しても良いと思っていましたが、面白そうでなかったので、夜行バスで「首都アクラ」に向かう事にしました。しかし評判の良い「STCバス」は満員で乗れず、2等バスになりました。16.5セディ(1110円)、約11時間。昨日今日と散々な目に合いましたが、これがアフリカです。

11月23日4:00、首都「アクラ」の自社ターミナル着。少し郊外にあり、明るくなってからゆっくりと街なかへ。
宿は安さで有名な「YMCA」へ。ドミトリー3セディ(201円)。個室が5セディ(335円)でありましたが満室てした。学校の様な建て物でロケーションは良かったのですが、仕事をしたり、探しているような長期滞在の若い男が多くいて居心地はイマイチでした。また断水が多く、土ボコリで汚れた服を洗うのガ大変でした。ガーナは乾季の為か断水が非常に多かったです。
「首都アクラ」は約180万の人口を擁する大都市ですが、見どころは少なく、街なかでの写真撮影を嫌がる傾向があったので写真は少ないです。屋台やファストフード店などでの食の選択肢は多くあり、ギネスビールも安く飲めました。日本大使館に「情報ノート」があるとの事だったので行ってみましたが、無くなっていたので少し前の日本の新聞を読んで帰りました。

「ゴミだらけの川」。乾季なのでこんな状態で、雨季になったらこれが全部海に流れ出るのでしょう。
「アクラ中心部」。少しの品物を持って売り歩いている人が多いです。

渋滞の幹線道路。
ジェームズタウン地区の「漁港」。

7月10、11日にオバマ大統領が来ました。ミシェル夫人のルーツがアフリカの黒人奴隷です。

11月26日、3泊したアクラから、160km西にある「ギニア湾沿岸部」の中心都市「ケープコースト」へ。
乗り合いワゴン車が出る「カネシ・バスターミナル」は少し離れていますが徒歩可能でした。が、乗客が集まるまで1時間待ちでした。車はフォードの新車のもちろん冷房付きで、約2時間、5.5セディ(370円)。

「ケープコースト」はそれほど大きい街ではないのですが、植民地時代にはここに総督府が置かれていました。街はいくつもの丘に広がっていて坂が多く、街の全体像が分かりにくかつたです。人々は首都アクラと違ってフレンドリーで、過ごしやすかったです。
宿は「旅行人ノート・アフリカ」に載っていた「Sammo G.H」シングル10セディ(670円)、トイレシャワー共同、ファン。街はずれにありたが、きれいで落ち着けました。
「ケープコースト城塞」(世界遺産)は17世紀に木材や金の拠点として建てられ、その後奴隷貿易の拠点となりました。オバマ大統領夫妻と娘二人もここを訪れ、ミシェル夫人には「ケープコーストの女王」の称号が与えられました。入場料は9セディ(603円)でガイド付きでしたが、ガイドがいい加減で、奴隷か出港まで閉じ込められていた部屋は見られませんでした。また必見の博物館は、あとで私1人で探して行きました。





城塞の東隣には漁村がありました。





西隣にはビーチがあります。








次回は「ケープコースト」とギニア湾沿岸部です。
ありがとうございました。