2017年2〜3月、「ヨルダン・ハシミテ王国」の旅、「首都アンマン」です。
「ヨルダン・ハシミテ王国」はヨルダン川・死海をはさんでイスラエルの東に位置し、面積は日本の4分の1位、人口は約1115万人です。歴史は古く、紀元前1万年頃にはヨルダン渓谷で人類最古の農業が行なわれていました。その後多くの王国の盛衰があり、紀元前63年からはローマ帝国、その後ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の支配となりました。そのためにローマ時代の遺跡が多く残っています。7世紀になるとアラビア半島にイスラム教が浸透し、ヨルダンもイスラム教国になりました。通貨はヨルダン・ディナールで1ディナール=約161円。
「首都アンマン」は19の丘に広がる大都市て人口は約400万人です。ローマ時代には十都市同盟(デカポリス)のひとつとして繁栄しました。一時衰退しましたが1929年に首都になり、1948年からの中東戦争・イラク紛争などの難民流入で人口が急激に増えましたが、中東アラブ社会の金融・商業の中心として発展を続けています。
アンマンの安宿はダウンタウンに集まっていて、私は4軒に泊まりました。「ヨルダン・リバー・ホテル」ドミトリー5ディナール(800円)。ドミトリーも大きなシングルベッドできれいなホステルでしたが、キッチンがなくトイレが少なかったです。
「ヨルダン・タワー・ホテル」ドミトリー8.7ディナールでしたがTax26%がプラスされ、11ディナール(1770円)になりました。豪華な朝食が評判なので泊まってみましたが、それほどでもありませんでした。部屋は普通の二段ベッドで、ローマ劇場の近くです。
左上はパンケーキ、中段左より豆のペーストゴマ風味(ホンムス・パンに付けて食べます)、オリーブの実、ジャム、ゴマ付きパン、下段はラフネ(ヤギ乳のカッテージチーズ)、オムレツと生野菜、コーヒー。
「ファラ・ホテル」ドミトリー8ディナール(1290円)、朝食付き。朝食、部屋はまあまあ。シャワーはぬるめ。テラスからの眺めはイマイチ。アンマンの眺めはアンマン城からがベストです。格安ツアーが充実しているとの事でしたが、旅行者が少なくてツアーはありませんでした。
「マンスール(コーダ)・ホテル」ドミトリー4ディナール(644円)。この辺りでは1番安く、日本人宿なのでアンマンで1番長く泊まりました。朝食はほとんどありませんでした。「コーダ」の意味は2004年のイラク紛争時、バグダッドに入ってイスラム過激派(アルカイダ)に拘束されて殺された香田証正(しょうせい)さんにちなんでつけられたそうです。彼はバックパッカーで「クリフ・ホテル」(近くの日本人宿)に泊まっている時にイラク行きを決め、スタッフの制止を振り切って行ったそうです。その時のスタッフが現「マンスール・ホテル」のオーナー(多分)で、それをくやんでホテル名に加えたそうです。
「アンマン城」はダウンタウンのすぐ横の山(丘)の上にある古くからの要塞で、ローマ時代のヘラクレス神殿跡の列柱、ビザンチン時代の教会跡などが残っています。眼下に広がるアンマン市街の眺めが素晴らしいです。ヘラクレス神殿跡の下あたりから登って行ったら、なぜかタダで入ってしまいました。
ヘラクレス神殿。
写真では遺跡に続いて街がある様に見えますが、街は向こう側の丘にあり、間には谷(ダウンタウン)があります。
下に「ローマ劇場」が見えます。
ビザンチン時代の教会跡?
60Ⅹ30m、高さ126.8mの巨大な「ヨルダン国旗」がアンマン城の北1.5kmの街の中に立っていて、24時間なびいています。
夕〜夜景。
家屋が密集しているはずですが、灯りは少ないです。
「ローマ劇場」138〜161年頃に建設され、33列で6000人収容です。ダウンタウンのすぐ横にあり、入場料2ディナール(322円)。
アンマン城近くの展望台より。
ローマ劇場前の広場より。
ローマ劇場入口。
劇場内の舞台前より。
観客席の最上部より舞台。
舞台の両サイドには小さな「ヨルダン伝統文化博物館」と「ヨルダン民族博物館」があります。料金は入場料に含まれています。
アンマン城と。
ローマ劇場の外にはローマ時代の列柱などが残っていて公園になっています。
アンマン城と。
外にあるローマ時代のコンサート会場(オデオン)。ローマ劇場のチケットで入れます。
次回(3/15予定)も首都アンマンです。
ありがとうございました。