2017年3月、ヨルダンの至宝「ペトラ遺跡」の続きです。
前回はメインのスタンダードコースを周りました。今回はまず、ペトラ遺跡の最奥地にある「エド・ディル(修道院)」へ。柱廊通りの先にある、聖域の奥あたりから800段の階段を登ります。「エド・ディル」はペトラで最大の建造物で、神としてあがめられたナバタイの王オボダス2世を祀ったとされています。エル・ハズネと比べると正面(ファサード)の装飾は簡素です。ビザンチン時代(東ローマ帝国395年〜)には教会として利用され、修道僧も住んでいました。
外界の右手に「王家の墓」が見えます。
ロバ・タクシー。
内部の祭壇跡。
天井の岩肌がきれいです。
「犠牲祭壇からワディ・ファラサへのショートトレッキング」へ。約3時間、観光客にはほとんど出会いませんでした。ローマ円形劇場の少し手前から右手に山を登ります。しばらくするとオベリスクが見えてきます。
オベリスクも信仰の対象でした。オベリスクは岩を削り出して作られています。
頂上に「犠牲祭壇」があります。
生贄の血を流すくぼみ。
貯水槽。
遠くの山頂に、十戒で有名なモーセの兄「アロンの墓」も見えます。
犠牲祭壇の少し先に、風化で分かりにくいですが「ライオンのモニュメント」が岩に彫られています。
山道を進むと「ワディ(枯れ川)・ワラサ」に沿って多くの墓が並んでいます。
「庭の墓」
「ローマ兵士の墓」
「カラード・トリクリニウム」ローマ兵士の墓に埋葬された故人のために、こちらで葬祭の儀式が行われました。
カラード・トリクリニウムの内部は、ペトラで最も手の込んだ装飾がされています。
「ルネッサンスの墓」
ベドウィンの家が見えると終点です。
ボールペンをプレゼントしたベドウィンの女の子。後ろは柱廊通りにある「大神殿」です。
途中ではベドウィンが放牧をしていました。
遺跡のネコ。
ペトラ遺跡寸景。
土産物屋。
ペトラ遺跡のある街ワディ・ムーサからアンマンへの帰路は公共バスを使いました。少し安いですが時間はあまり変わりませんでした。
アンマン寸景。
アラブ人はゴールド好き。
アンマンのダウンタウンのキング・フセイン通りには旅行代理店が多く並んでいます。スーダンのハルツームと同じくメッカ巡礼用かな? ここで日本への飛行機チケットが安くスムーズに買えました。
2017年3月13日16:20、アンマンのクィーン・アリス国際空港発。「ロイヤル・ヨルダン航空」
21:30、ドバイ着。
3月14日00:05、ドバイ発。「キャセイ・パシフィック航空」
11:10、香港着。
12:00、香港発。「キャセイパシフィック航空」16:35関空着。
関空でトラブル発生❗❗ 香港乗り換えの時間が50分しかなかったためか、私の荷物が着いていませんでした。私も少し心配をしていましたがやはりでした。事情がわかっているので手続きはスムーズで、あくる朝には大阪市内のホテルに届きました。
今回の中欧・中近東の旅(2016/9/29〜17/3/4)は終わりました。
次回からは、今年の4月4日から3年8ヶ月ぶりに旅に出る旅先からになります。フィリピン、ボルネオ島(マレーシア)、ブルネイなどの予定です。これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。