70歳現役バックパッカー世界一人旅  写真日記

こんにちは〜コロナ禍で旅にも出られずヒマなのでブログを始めました。現在から1970年代 (沢木耕太郎の深夜特急の時代) まで遡ろうと思います。暇があったらのぞいてください。

(100)2017年2月 イスラエル・ガリラヤ地方のイエスの足跡、そしてヨルダンへ。

2017年2月、イスラエルの旅「ガリラヤ地方のイエスの足跡」です。

「ナザレ」はガリラヤ湖畔の中心地ティベリアの南西30kmのところにある街で、バスで約1時間、16シェケル(500円)。

ナザレにはイエスの両親ヨセフとマリアが住んでいました。そしてマリアは大天使ガブリエルからイエスの受胎を告げられ、エルサレム近くのベツレヘムでイエスは誕生しました。イエスはその後の約30年をここナザレで両親と暮らしました。

「受胎告知教会」はマリアが告知を受けたとされる洞窟の上に建てられた聖地で、1969年に新しく完成したモダンな建物です。
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f:id:Seita75851833:20240221093426j:image                     
洞窟がある主聖堂。


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f:id:Seita75851833:20240221093842j:image                     2階より。


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2階の礼拝堂。
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教会には各国から贈られたマリア(聖母子)の絵が飾られています。まず2階の礼拝堂から。
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f:id:Seita75851833:20240221095339j:image                         日本から贈られた長谷川路可の「華の聖母子」真珠がふんだんに使われています。


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教会の外回廊にも多く飾ってあります。
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f:id:Seita75851833:20240221095943j:image                     「ギリシャ


f:id:Seita75851833:20240221100035j:image                     「韓国」


f:id:Seita75851833:20240221100058j:image                     「オーストリア


f:id:Seita75851833:20240221100122j:image                     「バチカン


f:id:Seita75851833:20240221100143j:image                       マリア像と。


f:id:Seita75851833:20240221100210j:image                         ナザレ市街と。

 

「受胎告知教会」寸景。
f:id:Seita75851833:20240221100419j:image                     2階中庭。


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マリアか受胎告知を受けた所はマリアが水を汲みに行っていた井戸(マリアの井戸)とする説もあり、その水源とされるところにギリシャ正教の「聖ガブリエル教会」があって信仰の対象になっています。
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f:id:Seita75851833:20240221101203j:image                     地下の水源に投げ込まれたコイン。


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ナザレ寸景。
f:id:Seita75851833:20240221101344j:image                     
高台からのナザレの街。真ん中あたりに「受胎告知教会」


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ナザレにはイエスとその家族ゆかりの教会が多くあり、ホステルや大きいスーク(バザール)もあるので宿泊するのも良いと思います。ヨルダンの首都アンマン行きのバスもありました(週4便)。ティベリアのホステルで会った香港人チャリダー(自転車旅行者)はティベリアからナザレまで歩いて行ったそうです。これも面白いと思いました。岩の多い平原が広がっていて、ここをイエスも歩いたと思われます。

その後、イエスは洗礼者ヨハネヨルダン川で洗礼を受け、布教の道を歩み始めます。ちなみにヨルダン川レバノンとシリア国境のアンチレバノン山脈からガリラヤ湖を経て死海に注いでいます。

エスガリラヤ湖畔で伝道活動を行い、湖北部のタブハ村にはイエス十二使徒ゆかりの教会が点在しています。ティベリアからはバスで15〜20分ですが、バスの本数が少ないので注意です。
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「パンの奇跡の教会」イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、集まった5000人を満腹にさせたという奇跡にちなみ、350年に建てられた教会。ビザンツ時代(313〜636年)のモザイクの床がきれいに残っています。
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f:id:Seita75851833:20240221102636j:image                     祭壇前のパンと2匹の魚のモザイク画。


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「ペテロ首位権の教会」イエスがペテロに出会ったとされる場所に建てられた教会。ペテロはガリラヤ湖の元漁師で十二使徒の筆頭格でした。
f:id:Seita75851833:20240221102935j:image                     
屋外でのミサ。


f:id:Seita75851833:20240221103110j:image                         イエスとペテロの像。


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f:id:Seita75851833:20240221103143j:image                        復活したイエスか弟子たちに食事を与えたといわれる岩の食卓が祭壇になっています。

 

「山上の垂訓教会」イエスがその思想、教義の最も重要な部分をここで語ったといわれています。教会は山の上にありバスが近くを通りますが、本数が少ないので畑の中の近道を登って行くと景色が良いです。
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f:id:Seita75851833:20240221104116j:image                         聖堂は八角形になっていて、イエスの語った重要な8つの句がラテン語で記されています。


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f:id:Seita75851833:20240223111640j:image                     山上の教会より湖畔の教会。

 

うっかりして今日がユダヤ教徒安息日(シャバット)で、金曜日の午後から土曜日が休日なのを忘れていました。バスも午前中で終わりです。ティベリアまでは12〜3kmあるのでヒッチをしました。どうにか1台が停まってくれましたが、途中の町まででした。あと半分位は、少し高台にある自動車道路をガリラヤ湖を眺めながら歩いて帰りました。

 

2017年2月26日、今回の旅(2016/9/29〜バルト三国中欧・中近東32か国の旅)の最後の訪問国「ヨルダン・ハシミテ王国」へ向かいます。陸路でイスラエルからヨルダンへ行くには3つのルートがあり、一番ポピュラーなのはエルサレム↔首都アンマン間のアレンビー橋(ヨルダン名キング・フセイン橋)ルートですが、ここは正式な国境ではないので制約があり、空路でイスラエルに入った人、またはこのルートでイスラエルに入った人しか通れません。エジプトから入国した私は南端のエイラット→アカバの国境もだめで、ティベリアの少し南の街ベト・シェアン近郊の「ヨルダン川ボーダー(シェイフ・フセイン橋)」だけでした。
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ティベリアからベト・シェアンへはバスで約45分、14シェケル(440円)。そこから国境までは約8kmで、16番バスのバス停がありましたが詳細は?です。タクシーは50シェケル(1550円)だったのでもちろん歩きです。途中でヒッチをしながら反対から歩いて来る同類の若者と出会いました。軽く会釈を交わしたすぐあとで私は車を捕まえ、国境まで乗せてもらいました。

イスラエル出国、ヨルダン入国ともに簡単でした。イスラエル国税105シェケル(3255円)は高いです。両国のイミグレ間(緩衝地帯)はバスに乗ります、5シェケル(155円)。イスラエル側の銀行では1シェケル以上の硬貨もヨルダン・ディナールに両替できました。
f:id:Seita75851833:20240221104628j:image                     
         「ヨルダン川ボーダー」シェイ・フフセイン橋。

 

ヨルダンに入って少し歩くと、タクシーが待っていました。この先にバスがあるかどうかも分からなかったので、奮発して次の街イルビットまでタクシーで行く事にしました。19ディナール(3000円)、約50分。あとで解った事ですが、もう少し行くとシェアタクシーやバスがあったようでした。イルビットで一泊しようと思っていましたが、着いたところに首都アンマン行きのシェアタクシー(セルビス)がいたので、続けてアンマンまで行ってしまいました。約1時間、2.5ディナール(400円)、安いです。

アンマン到着は街はずれにある北バスターミナルです。アンマン中心部までは5km位だったので街の見学がてら歩いて向かいました。が、これが大失敗でした。地図ではわかりませんがアンマンは大変に起伏に富んだ地形で、予定の倍以上の時間がかかりました。
f:id:Seita75851833:20240221104824j:image                     北バスターミナルから中心部方面。


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次回(3/5予定)はヨルダンの首都「アンマン」です。

ありがとうございました。