70歳現役バックパッカー世界一人旅  写真日記

こんにちは〜コロナ禍で旅にも出られずヒマなのでブログを始めました。現在から1970年代 (沢木耕太郎の深夜特急の時代) まで遡ろうと思います。暇があったらのぞいてください。

(98)2017年2月 「イスラエル」の旅。エルサレム「イエスの足跡」

2017年2月、イスラエル国エルサレム」の続きです。

今回は主に「イエス・キリスト」の足跡をたどります。最初は生誕の地「ベツレヘム」です。エルサレムの南10kmの小高い丘にある街で世界遺産です。「パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区にあり、エルサレムからはダマスカス門近くから出る、アラブバス№231で約30分、6.8シェケル(211円)。

イスラエルパレスチナ自治区の間にはチェックポイント(検問所)があり、バスから降りて出入りします。パスポートチェックがありました。ベツレヘムヘブロン通りにあるバス停から「聖誕教会」までは歩いて20分位で、街の中心部にあります。エスの両親であるヨセフとマリアはもともとガリラヤ地方(イスラエル北部)のナザレに住んでいました。ベツレヘムに来たのはローマ帝国の人口調査でヨセフの生まれ故郷に帰ったためです。そして宿をとることが出来ないまま、小さな洞窟の家畜小屋でイエスは生まれました。紀元前4年と推定されています。そして紀元後325年、そこにローマのコンスタンチノス大帝が「聖誕教会」を建立しました。
f:id:Seita75851833:20240206105538j:image                         
生誕の場所は祭壇の下にあります。


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f:id:Seita75851833:20240206105903j:image                     生まれた所には銀の星形がはめ込まれています。


f:id:Seita75851833:20240206105958j:image                        星形には「ここにイエス・キリストは生まれたまえり」とラテン語で刻まれています。


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エスはその後、洗礼、布教活動ののちエルサレムに入りました。

処刑の前の晩に、イエスが弟子たちと「最後の晩餐」をしたとされる部屋が旧市街の南、シオンの丘にあります。現在の建物は十字軍(1099年〜)が建てたもので、レオナル・ドダ・ヴィンチの有名な絵画とは雰囲気が違います。
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「最後の晩餐」のあと、イエスは「ゲッセマネの園」で祈っている時に逮捕されました。ゲッセマネの園はオリーブの林で、イエスはここでよく祈っていました。古いオリーブの木が8本残っています。
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f:id:Seita75851833:20240206110603j:image                     ゲッセマネの園にある「万国民の教会」4世紀に建てられましたが、1919年に再建されました。


f:id:Seita75851833:20240206110715j:image                     イエスが祈った岩の一部が置かれています。

 

あくる日、ローマ総督ピラトの官邸で裁判が行われ、ローマ帝国に対する反逆罪で磔刑(十字架でのはりつけ刑)を宣告されます。ちなみに磔刑は当時では一番重い刑です。そしてすぐに十字架を背負わされて刑場である「ゴルゴダの丘」に向かいます。この約1kmの道を「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)と呼び、当時も今も繁華街になります。そして重要な場所には番号(留・ステーション)がふってあり、第1留のピラトの官邸から聖墳墓教会まて14留あり、たどれるようになっています。毎金曜日にはフランシスコ会の修道士がこの道を十字架を担ぎながら行進します。

(Ⅰ)ローマ総督ピラトの官邸で磔刑の判決を受ける。現在は学校になっていて普段は入れませんが、金曜日のフランシスコ派修道会の行進はここから始まります。
f:id:Seita75851833:20240206110910j:image                         
学校の入口。


f:id:Seita75851833:20240206110942j:image                     学校内。当時の建物ではありません。

 

(Ⅱ)近くにある「鞭打ちの教会」でイエスは十字架を背負わされ、茨の冠をかぶせられます。そして鞭で打たれます。
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f:id:Seita75851833:20240206111055j:image                         祭壇に「茨の冠」が飾られています。ステンドグラスは鞭で打たれるイエスです。


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f:id:Seita75851833:20240206111233j:image                         付近の通りです。当時とあまり変わっていないと思われます。


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(Ⅲ)イエスが十字架の重さに耐えかねて最初につまずいた場所で、小聖堂があります。
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(Ⅳ)「苦悩の母のマリア教会」マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所に建てられた教会。
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(Ⅴ)イエスの代わりにシモンが十字架を背負った場所。小さな聖堂があります。
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(Ⅵ)「ベロニカ教会」ベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭ったら、ハンカチにキリストの顔が浮き上がりました。ハンカチは現在、バチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」にあるそうです。(非公開)
f:id:Seita75851833:20240206112515j:image                     
左上に番号(留)かあります。


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(Ⅶ)再びつまずいた場所。バザール(スーク)と交差する場所にあります。
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(Ⅷ)イエスエルサレムの娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と慰めた場所。
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(Ⅸ)イエスが3度目に倒れた場所。「聖墳墓コプト教会」の前にあります。
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f:id:Seita75851833:20240206114257j:image                         「コプト教会」内部へ。僧坊と思われます。


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f:id:Seita75851833:20240206114422j:image                     


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f:id:Seita75851833:20240206114536j:image                     奥に礼拝堂があり聖墳墓教会へと続いていました。


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エスは「聖墳墓教会」の入口横にある聖堂で衣を脱がされたそうです。そして教会に入ってすぐ右側の「(Ⅹ)ゴルゴダの丘」に向かいます。(Ⅹ)ゴルゴダの丘〜(ⅩⅣ)イエスの墓は聖墳墓教会内にあります。
f:id:Seita75851833:20240206114712j:image                        「
聖墳墓教会」右下が入口です。


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(Ⅺ)そしてエスは「ゴルゴダの丘」て十字架に釘づけにされます。聖墳墓教会内のゴルゴダの丘は教会に入ってすぐ右手にあり、祭壇などは階段を登った2階にあります。
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(Ⅻ)「ゴルゴダの丘の2階にある祭壇」祭壇の下にある岩に十字架が立てられ(印がついています)、そしてイエスは息を引き取りました。紀元30年とされています。ちなみに私のブログ(36)に記しましたが、アルメニア共和国の「エチミアジン大聖堂」にイエスの脇腹を刺したとされる「ローマ兵の槍」が保存されています。私が行った時はアメリカに貸し出し中で私は見ていません。
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(ⅩⅢ)イエスの死を嘆く聖母マリアの小祭壇。ここでマリアがイエスの亡骸を受け取ったとされています。
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(ⅩⅣ)「イエスの墓」中央の聖堂の中に礼拝堂とイエスの墓があります。大勢の人か礼拝の順番待ちをしていたので、異教徒である私は割愛しました。
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「香油を注がれた石」十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗ったとされる畳位の赤い大理石の板。教会に入ってすぐの所にあり、すぐ右手は「ゴルゴダの丘(祭壇は2階)」です。
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聖墳墓教会」寸景。
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f:id:Seita75851833:20240207095028j:image                         「十字架発見の聖堂」4世紀に十字架の破片を発見したとされる場所。

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エスは亡くなった3日後に復活して、遺骸は消えていました。そして弟子たちの前に現れて教えを説いた後、40日目に昇天しました。オリーブ山の山頂に「昇天教会」があり、中にある岩にはイエスが昇天した時についたとされる足跡か残っています。

 

オリーブ山の麓にある「マリアの墓の教会」の地下に聖母マリアの墓があります。近くには「マグダラのマリア」の墓があるロシア正教の教会もあります。
f:id:Seita75851833:20240207095229j:image                     
地下に下りていく途中にマリアの両親ヨアヒムとアンナ、夫ヨセフの墓もあります。


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次回(2/25予定)は「エルサレム寸景」「死海」「ガリラヤ湖」です。

ありがとうございました。