70歳現役バックパッカー世界一人旅  写真日記

こんにちは〜コロナ禍で旅にも出られずヒマなのでブログを始めました。現在から1970年代 (沢木耕太郎の深夜特急の時代) まで遡ろうと思います。暇があったらのぞいてください。

(99)2017年2月 イスラエルの旅。「エルサレム」「死海」「ガリラヤ湖」

2017 年2月、イスラエル国エルサレム」の続きです。

エルサレム旧市街」寸景。
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f:id:Seita75851833:20240213111917j:image                         
旧市街には思っていた以上にパレスチナ人の往来が多く、露店も出ています。


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旧市街の一画に古代の商店街(カルド・西暦135年〜)が発掘されています。
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オリーブ山と旧市街の間にある「ケデロンの谷」は紀元前10世紀のイスラエル王国ダビデ王時代からの墓地です。近くにはエルサレム発祥の地「ダビデの町」の遺跡もあります。
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新市街にある「マハネー・イェフダー市場」
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f:id:Seita75851833:20240213113734j:image                          お菓子売り場。


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その他、エルサレム寸景。
f:id:Seita75851833:20240213114515j:image                     ファストフード店


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f:id:Seita75851833:20240213114702j:image                     ファラエル(ひよこ豆のコロッケ)の「ピタパンサンド」6シェケル(186円)。安くて、ボリュームがあり、美味しいです。


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死海」へ。新市街のエゲッドバス・セントラルステーションから起点となる「エン・ゲディ」まで約1時間、34シェケル(1060円)。

死海」は海面下420mで、世界で最も低地にある塩水湖です。ヨルダン川流入していますが出口がなく、強烈な太陽光で水分が蒸発して塩分濃度が約33%(通常の海水の10倍)になりました。一応湖で浮かぶつもりで行きましたが、エン・ゲディのパブリック・ビーチが閉鎖していてその他の沿岸は遊泳禁止でした。バスで30分位南下したエン・ボケックにもパブリック・ビーチがありますが、ヨルダンで行く事にして、バスから死海を見ただけで帰りました。
f:id:Seita75851833:20240213115611j:image                     
対岸はヨルダンです。


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2月22日、エゲッドバスでイスラエル北部ガリラヤ湖畔の街「ティベリア」へ。37.5シェケル(1163円)、約2.5時間。
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宿は「ティベリアス・ホステル」ドミトリー75シェケル(2325円)。きれいなホステルでキッチン有り。各国のツーリストで賑わっていました。朝食は10シェケル(310円)でまあまあ、日替わりの夕食もありました。
f:id:Seita75851833:20240214093400j:image                     
ホステルのロビーにあったレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のパロディ版。

 

「ティベリア」はガリラヤ湖地域の中心地で2000年の歴史がありますが、さほど大きい街ではありません。レバノン国境やイスラエルが実効支配中のシリア領ゴラン高原に近いです。 

ガリラヤ湖」は南北約20km、東西約12kmの淡水湖で、海面下210mにあるので冬でも温暖です。キリスト教徒にとってはイエスの伝道の地として重要なところです。
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次回(3/1予定)はガリラヤ地方のイエスの足跡です。そして今回の旅の最後の訪問国「ヨルダン」へ向かいます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

(98)2017年2月 「イスラエル」の旅。エルサレム「イエスの足跡」

2017年2月、イスラエル国エルサレム」の続きです。

今回は主に「イエス・キリスト」の足跡をたどります。最初は生誕の地「ベツレヘム」です。エルサレムの南10kmの小高い丘にある街で世界遺産です。「パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区にあり、エルサレムからはダマスカス門近くから出る、アラブバス№231で約30分、6.8シェケル(211円)。

イスラエルパレスチナ自治区の間にはチェックポイント(検問所)があり、バスから降りて出入りします。パスポートチェックがありました。ベツレヘムヘブロン通りにあるバス停から「聖誕教会」までは歩いて20分位で、街の中心部にあります。エスの両親であるヨセフとマリアはもともとガリラヤ地方(イスラエル北部)のナザレに住んでいました。ベツレヘムに来たのはローマ帝国の人口調査でヨセフの生まれ故郷に帰ったためです。そして宿をとることが出来ないまま、小さな洞窟の家畜小屋でイエスは生まれました。紀元前4年と推定されています。そして紀元後325年、そこにローマのコンスタンチノス大帝が「聖誕教会」を建立しました。
f:id:Seita75851833:20240206105538j:image                         
生誕の場所は祭壇の下にあります。


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f:id:Seita75851833:20240206105903j:image                     生まれた所には銀の星形がはめ込まれています。


f:id:Seita75851833:20240206105958j:image                        星形には「ここにイエス・キリストは生まれたまえり」とラテン語で刻まれています。


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エスはその後、洗礼、布教活動ののちエルサレムに入りました。

処刑の前の晩に、イエスが弟子たちと「最後の晩餐」をしたとされる部屋が旧市街の南、シオンの丘にあります。現在の建物は十字軍(1099年〜)が建てたもので、レオナル・ドダ・ヴィンチの有名な絵画とは雰囲気が違います。
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「最後の晩餐」のあと、イエスは「ゲッセマネの園」で祈っている時に逮捕されました。ゲッセマネの園はオリーブの林で、イエスはここでよく祈っていました。古いオリーブの木が8本残っています。
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f:id:Seita75851833:20240206110603j:image                     ゲッセマネの園にある「万国民の教会」4世紀に建てられましたが、1919年に再建されました。


f:id:Seita75851833:20240206110715j:image                     イエスが祈った岩の一部が置かれています。

 

あくる日、ローマ総督ピラトの官邸で裁判が行われ、ローマ帝国に対する反逆罪で磔刑(十字架でのはりつけ刑)を宣告されます。ちなみに磔刑は当時では一番重い刑です。そしてすぐに十字架を背負わされて刑場である「ゴルゴダの丘」に向かいます。この約1kmの道を「ヴィア・ドロローサ」(悲しみの道)と呼び、当時も今も繁華街になります。そして重要な場所には番号(留・ステーション)がふってあり、第1留のピラトの官邸から聖墳墓教会まて14留あり、たどれるようになっています。毎金曜日にはフランシスコ会の修道士がこの道を十字架を担ぎながら行進します。

(Ⅰ)ローマ総督ピラトの官邸で磔刑の判決を受ける。現在は学校になっていて普段は入れませんが、金曜日のフランシスコ派修道会の行進はここから始まります。
f:id:Seita75851833:20240206110910j:image                         
学校の入口。


f:id:Seita75851833:20240206110942j:image                     学校内。当時の建物ではありません。

 

(Ⅱ)近くにある「鞭打ちの教会」でイエスは十字架を背負わされ、茨の冠をかぶせられます。そして鞭で打たれます。
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f:id:Seita75851833:20240206111055j:image                         祭壇に「茨の冠」が飾られています。ステンドグラスは鞭で打たれるイエスです。


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f:id:Seita75851833:20240206111233j:image                         付近の通りです。当時とあまり変わっていないと思われます。


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(Ⅲ)イエスが十字架の重さに耐えかねて最初につまずいた場所で、小聖堂があります。
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(Ⅳ)「苦悩の母のマリア教会」マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所に建てられた教会。
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(Ⅴ)イエスの代わりにシモンが十字架を背負った場所。小さな聖堂があります。
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(Ⅵ)「ベロニカ教会」ベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭ったら、ハンカチにキリストの顔が浮き上がりました。ハンカチは現在、バチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」にあるそうです。(非公開)
f:id:Seita75851833:20240206112515j:image                     
左上に番号(留)かあります。


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(Ⅶ)再びつまずいた場所。バザール(スーク)と交差する場所にあります。
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(Ⅷ)イエスエルサレムの娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と慰めた場所。
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(Ⅸ)イエスが3度目に倒れた場所。「聖墳墓コプト教会」の前にあります。
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f:id:Seita75851833:20240206114257j:image                         「コプト教会」内部へ。僧坊と思われます。


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f:id:Seita75851833:20240206114422j:image                     


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f:id:Seita75851833:20240206114536j:image                     奥に礼拝堂があり聖墳墓教会へと続いていました。


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エスは「聖墳墓教会」の入口横にある聖堂で衣を脱がされたそうです。そして教会に入ってすぐ右側の「(Ⅹ)ゴルゴダの丘」に向かいます。(Ⅹ)ゴルゴダの丘〜(ⅩⅣ)イエスの墓は聖墳墓教会内にあります。
f:id:Seita75851833:20240206114712j:image                        「
聖墳墓教会」右下が入口です。


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(Ⅺ)そしてエスは「ゴルゴダの丘」て十字架に釘づけにされます。聖墳墓教会内のゴルゴダの丘は教会に入ってすぐ右手にあり、祭壇などは階段を登った2階にあります。
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(Ⅻ)「ゴルゴダの丘の2階にある祭壇」祭壇の下にある岩に十字架が立てられ(印がついています)、そしてイエスは息を引き取りました。紀元30年とされています。ちなみに私のブログ(36)に記しましたが、アルメニア共和国の「エチミアジン大聖堂」にイエスの脇腹を刺したとされる「ローマ兵の槍」が保存されています。私が行った時はアメリカに貸し出し中で私は見ていません。
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(ⅩⅢ)イエスの死を嘆く聖母マリアの小祭壇。ここでマリアがイエスの亡骸を受け取ったとされています。
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(ⅩⅣ)「イエスの墓」中央の聖堂の中に礼拝堂とイエスの墓があります。大勢の人か礼拝の順番待ちをしていたので、異教徒である私は割愛しました。
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「香油を注がれた石」十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油を塗ったとされる畳位の赤い大理石の板。教会に入ってすぐの所にあり、すぐ右手は「ゴルゴダの丘(祭壇は2階)」です。
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聖墳墓教会」寸景。
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f:id:Seita75851833:20240207095028j:image                         「十字架発見の聖堂」4世紀に十字架の破片を発見したとされる場所。

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エスは亡くなった3日後に復活して、遺骸は消えていました。そして弟子たちの前に現れて教えを説いた後、40日目に昇天しました。オリーブ山の山頂に「昇天教会」があり、中にある岩にはイエスが昇天した時についたとされる足跡か残っています。

 

オリーブ山の麓にある「マリアの墓の教会」の地下に聖母マリアの墓があります。近くには「マグダラのマリア」の墓があるロシア正教の教会もあります。
f:id:Seita75851833:20240207095229j:image                     
地下に下りていく途中にマリアの両親ヨアヒムとアンナ、夫ヨセフの墓もあります。


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次回(2/25予定)は「エルサレム寸景」「死海」「ガリラヤ湖」です。

ありがとうございました。

 

(97)2017年2月 「イスラエル国」の旅。

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2017年2月14日13:30、エジプト・アラブ共和国シナイ半島西端の街「ターバー」のバスターミナルからイスラエル国境へ。徒歩で約10分。前回に記しましたが、スーダンからエジプトへの再入国時にビザのシールが無かった為に払わなかったエントリー(アライバル)ビザ代25USドルをエジプト出国時に請求されて払いました。出国税はありませんでした。そして予想に反して国境にいるはずの両替屋が一人もいません。多分、イスラエル出入国するエジプト人や旅行者が少ない為と思われます。残ったエジプトポンドは悪いレートですがイスラエル国内でなんとか両替出来ました。  

イスラエル入国ではイミグレの係員からじっくりと質問攻めを受けました。イスラエルの入国記録がパスポートにあると入国が難しい国があるので入国スタンプを押さないてほしいと頼む場合があるそうですが、ここでは何も言わないでも入国スタンプは押されませんでした。代わりに滞在許可証が発給されました。しかし、エジプト・ダーバーからの出国スタンプがあるのでイスラエル入国の有無は調べると分かります。

国境から「エイラット(エーラト)」の街までは市内バスがあります。4.2シェケル(130円)。セントラルバスステーションまで約30分。イスラエル通貨は「シェケル」で1シェケル=約31円。

イスラエル国」の面積は日本の四国位で人口は約940万人です。ユダヤ人とパレスチナ人の複雑な歴史があり、今はイスラム組織(パレスチナ過激派)ハマスとの紛争が泥沼化ています。 
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「エイラット」はイスラエルの最南端に位置し、アカバ湾(紅海)に面しているのでイスラエルで一番のリゾート地です。ヨルダン・アカバとの国境でもあります。

宿は「コリーン・ホステル」ドミトリー60シェケル(1860円)。急にヨーロッパ並に高くなりました。アート作品が多く飾ってあるまあまあのホステルでした。近くに新しくて眺望の良い「アラバ・ホステル」(ドミトリー65シェケル)があります。

「エイラット」寸景。
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f:id:Seita75851833:20240129112059j:image                     対岸はヨルダンです。


f:id:Seita75851833:20240129112341j:image                     波止場にはネコがいっぱい。

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小さなビーチ。


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f:id:Seita75851833:20240129112617j:image                     街のすぐそばに空港があります。

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f:id:Seita75851833:20240129112641j:image                     隣町のヨルダン唯一の港町「アカバ

 

2月16日10:00、エゲッドバス(イスラエル全土をカバーするバス会社)で「エルサレム」へ。70シェケル(2170円)。死海沿岸を通りました。

14:30、エルサレムのエゲッドバス・セントラルステーション着。バスステーションから旧市街にあるホステルまでは新市街のメインストリート「ヤッフォ通り」をぶらぶらと歩いて行きました。(小1時間) 路面電車も走っています。 
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宿は「チェーン・ゲート・ホステル」ドミトリー60シェケル(1860円)まあまあの朝食付き。旧市街の細い路地奥にあり、「神殿の丘」「岩のドーム」のすぐそばにありました。もちろん壁があるので岩のドームは見えません。中は二段ベッドが雑多に並んだ狭っ苦しい部屋で男女混合です。トイレシャワーも少なく、共有スペースや食事をする場所も限られていました。キッチンもないので、他のホステルに替わろうと思いながら、結局6泊(エルサレム滞在中)もしてしまいました。
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二段ベッドの上段より。

 

昔から有名な、三食付きで支払いは個人まかせのドネーション(寄付)方式のホステル「イブラヒム・ピース・ハウス」へ見学に行きました。同宿の若い日本人男性が後日そこに行くつもりなので事前チェックについて行きました。朝10時頃でしたが朝食中で、私達の分も出してくれました。美味しかったです。しかし、みんなで食卓を囲むので言葉が通じないとコミュニケーションが大変そうです。今はドネーション方式はなくなり、100シェケル(3100円)になっていました。場所は旧市街横にある「オリーブ山」の上にあり、急坂を登って行きます。もちろんバスもあります。オリーブ山には史跡が多くあり、旧市街の眺めは素晴らしいです。

エルサレム旧市街」はエルサレム発祥の地で城壁に囲まれ、8つの門があります。ちなみに城壁が現在の形になったのは1537〜41年です。中にはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地があり世界遺産です。一部を除き車も走っていません。
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オリーブ山より。中央の金色の丸屋根がイスラム教の聖地「岩のドーム」です。


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f:id:Seita75851833:20240129113442j:image                         「ヤッフォ門」新市街のメインストリート「ヤッフォ通り」に続いています。


f:id:Seita75851833:20240129113523j:image                    「ダマスカス門」最も賑わっている門で、シリアのダマスカスまで続いていました。


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f:id:Seita75851833:20240129113744j:image                    「聖ステパノ門」別名ライオン門。


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まずはユダヤ教の「嘆きの壁」へ。嘆きの壁を越えた向こう側(東側)にユダヤ教キリスト教の聖地「神殿の丘」が広がっていて、今はイスラム教の聖地「岩のドーム」があります。かって、ここにはユダヤ教の神殿が建っていて、西暦70年にローマのティトス将軍によって破壊されました。その後のユダヤ人は残った西の壁(嘆きの壁)で年に1度祈れるだけになりました。1948年からはヨルダンの管理下になった為ユダヤ人は壁に近づくことも出来ませんでした。そして1967年6月7日の第三次中東戦争後に、ようやく1900年ぶりに自由に祈れるようになりました。
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f:id:Seita75851833:20240129114106j:image                     壁の高さは21mで、右手の一角が女性用です。


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f:id:Seita75851833:20240129114244j:image                         


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f:id:Seita75851833:20240129115039j:image                         壁の前で聖書を詠みます。

f:id:Seita75851833:20240129115058j:image                         石のすき間にはさんであるのは悲願を書いた紙です。

f:id:Seita75851833:20240129115210j:image                         帽子は必携です。ない時はキッパ(ユダヤ教徒がかぶる小さな帽子)を貸してくれます。壁に生えているのはヒソプの草です。


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f:id:Seita75851833:20240129115816j:image                      女性信者。

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f:id:Seita75851833:20240129115944j:image                     女性兵士。
     

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f:id:Seita75851833:20240129120113j:image                         結婚報告。

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f:id:Seita75851833:20240129120254j:image                     嘆きの壁のうしろ側にある建物と。

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ユダヤ教キリスト教の聖地「神殿の丘」とイスラム教の聖地「岩のドーム」へ。イスラム教徒以外の神殿の丘・岩のドームへの入口は「嘆きの壁」のすぐ右手にある「モロッコ門」だけです。「岩のドーム」はメッカ、メディナに次ぐイスラム第3の聖地で、ドーム内に入れるのはイスラム教徒だけです。ちなみにドームの屋根が金メッキになったのは1964年です。
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写真を撮ってそろそろ出ようとした時、イスラム教徒の係員が来て厳しく叱責され、つまみ出されました。本当に首根っこをつかまれて出されました。言葉が分からないので理由が分かりません。もちろん岩のドーム内には入っていません。ひょっとしたら岩のドームがある小高い丘にも異教徒は入ってはいけないのか、写真禁止かも知れません? あるいは神殿の丘全体が写真禁止かも? ちなみに「地球の歩き方」には「📷内部不可」とあります。私はこれを「岩のドーム内のみ不可」と解釈しましたが? デジカメ内の写真は消されませんでした。

 

次回(2/15予定)は「イエス」のエルサレムでの足跡です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

(96)2017年2月 「スーダン」からエジプト・シナイ半島「ダハブ」へ。

2017年2月、スーダン共和国ハルツームから「ヨルダン」へ飛行機で飛ぼうと思い、旅行代理店を回りました。(私はこの時はまだチケットのネット予約が出来ませんでした) ハルツームダウンタウンには多く(必要以上?)の代理店がありましたが、まず私が言われたのは、往復チケットしか売れない(買えない)と言うことでした? そしてヨルダンのビザが不要の私(ヨルダン人以外)にもビザが必要との事でした? 多分、ハルツームのほとんどの旅行代理店は自国民のメッカ巡礼などのためだけにあり、外国人ツーリストにはきちんとした旅行上の対応が出来ない様子でした。大使館の人もおかしいと言っていましたが、仕方なくヨルダンビザを取得しました。この時、ビザ代のスーダンポンドの持ち合わせがなかったので、両替をして来ると言ったら、ビザ代を無料にしてくれました。その後、旅行代理店でのチケット購入に不安があるのでどうしようかと悩んでいたら、ホテルのフロントでエジプト・カイロ行きバス(ALDAMER)のパンフレットを見つけました。これで決まりました。問題はエジプトビザですが、大使館で聞いたら陸路の国境でも「エントリー(アライバル)ビザ」が取得出来るとの事でした。この時はエジプト大使館の休館日が続き3日待ちました。そしてなんやかんやで写真を撮りにくいハルツームに7泊もしてしまいました。

2017年2月6日早朝4:00、ホテルから少し離れた幹線道路にバスターミナルまでの車が迎えに来ました。

5:00 ハルツームのバスターミナル発。700スーダンポンド(4550円)。
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14:00 入国した時と同じ「ワディ・ハルファ」の国境着。再び荷物検査などで時間がかかりました。スーダン国税?も徴収されました。80+50+10スーダンポンド(975円)。エジプト入国税?もありました。60エジプトポンド(360円)。エジプトのエントリービザ代25USドルは、ここにはパスポートに貼るシールがなかったので、シナイ半島イスラエルへ出国する時に払いました。出国するまではビザ代がタダになったと喜んでいましたが、糠喜びでしたパスポートにアラビア語でこの事が記入されていた様です。

20:30 エジプト国境発。再びフェリーに乗ると思っていたら、そのままアスワンに着いてしまいました。
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2月7日1:00 アスワン着。後、カイロ行きバスに乗り換えて出発。
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f:id:Seita75851833:20240118113657j:image                     バス内で誰かの大型カメラを持って遊ぶ子供。


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13:30 カイロ着。

宿は前回も泊まった「サファリ・ホテル」へ。ドミトリー85エジプトポンド(510円)。ここはトルゴマーン・バスステーションに近くて便利です。
f:id:Seita75851833:20240118114012j:image                        「サファリ・ホテル」の部屋から見える路地。

 

f:id:Seita75851833:20240118114049j:image                         ホテルの左隣はパン屋で焼き立てが食べられます。あんパン(1.5ポンド9円)もあります。

 

2月9日23:00 トルゴマーン・バスステーション発の夜行バスでシナイ半島のリゾート地「ダハブ」へ。130ポンド(780円)。シナイ半島に入る所で荷物検査がありました。

2月10日10:00 「ダハブ」長距離バスターミナル着。ここから安宿があるマシュラバ地区まで歩いて約30分。(2〜3km)
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宿は「ビジュビシ・ガーデン・ビレッジ」シングルルーム60ポンド(360円)。トイレ・シャワー共同。広い庭の周りに平屋の部屋が並んでいて、のんびりとできました。
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シナイ半島はアジア大陸の西端に位置し、アフリカ大陸との接点です。大半が砂漠地帯で南部の紅海沿岸はリゾート地として人気があり、北部にはパレスチナ自治区「ガザ」があります。中東戦争により一時期イスラエルに占領されていて、「ダハブ」はその時にイスラエルによって造られたリゾート地です。ちなみにイスラエルシナイ半島返還は1982年です。
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f:id:Seita75851833:20240118115412j:image          

マシュラバの目の前の海岸で手軽にスノーケリングやダイビングが楽しめます。対岸はサウジアラビアです。


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f:id:Seita75851833:20240118115550j:image                     メイン・ストリート。


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f:id:Seita75851833:20240118115825j:image                     郊外の山と新興住宅。


f:id:Seita75851833:20240118115857j:image                     


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f:id:Seita75851833:20240118120057j:image                   「King Chicken Restaurant」の「グリルチキン・セット」35ポンド(210円)。ピラフ、サラダ、一品、スープ、アラブパン、タヒーナ(パンにつけるゴマペースト)2種。

 

世界遺産シナイ山」(別名ガバル・ムーサ〈モーセ山〉2285m)へ。ツアーで行くのが便利で、ホテルで申し込めます。150ポンドを140ポンド(840円)にまけてくれました。「シナイ山」は旧約聖書モーセが神から十戒を授かった聖地で、5〜6世紀から巡礼が始まったと言われています。

23:00 ワゴン車で出発。

1:00 登山口の聖カトリーナの街着。
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簡単なセキュリティチェックを受けてから、なだらかなラクダ道をガイドと登ります。頂上手前は約800段の階段状のきつい山道になります。懐中電灯は必携です。

5:00頃、頂上の「三位一体聖堂」に到着。
f:id:Seita75851833:20240119093731j:image                     
東の空が明るくなって来ました。


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f:id:Seita75851833:20240119094233j:image                     西の空には満月が。


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6:20頃、御来光。風が強く(この日はまだましでしたが)、寒かったです。
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f:id:Seita75851833:20240119103709j:image                     
頂上の「三位一体聖堂」1930年建立でのほどの。


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f:id:Seita75851833:20240119103901j:image                     頂上の売店


f:id:Seita75851833:20240119103927j:image                     左の山はシナイ半島最高峰「カトリーナ山」(2642m)。頂上に小さな礼拝堂があります。

 

7:00頃、下山開始。帰りは3750段ある階段コースを下りました。景色は良かったはず(登った時の景色は知らないので)ですが、きつかったです。
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f:id:Seita75851833:20240119104454j:image                    「聖エリアの礼拝堂?」


f:id:Seita75851833:20240119104524j:image                         麓にある「聖カトリーナ修道院」が見えて来ました。


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街にある「聖カトリーナ修道院」(330年)を見学してから帰路につきました。
f:id:Seita75851833:20240119104626j:image                        
「鐘楼」


f:id:Seita75851833:20240119104655j:image                     一番古い「燃える柴礼拝堂」モーセが聖なる山に入ろうとした時、燃えているのに燃え尽きなかったと言われています。


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12:30 ダハブ帰着。

 

2017年2月14日、4泊したダハブから「イスラエル」エイラットへ向かいます。

11:00 ダハブ長距離バスターミナルからエジプト国境の街「ターバー」へ。45ポンド(270円)。
f:id:Seita75851833:20240119105057j:image                     
アカバ湾沿岸のリゾート村。


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f:id:Seita75851833:20240119105235j:image                     ダーバーの街。


f:id:Seita75851833:20240119105301j:image                     ダーバー沖の「フィルオーン島」ローマ時代からの要塞があります。対岸はヨルダン、サウジアラビアです。


f:id:Seita75851833:20240119105328j:image                     警備の戦車。

 

13:00 「ターバー」着。後、「イスラエル」へ入国。

 

次回(2/5予定)は「イスラエル」です。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

(95)2017年1〜2月 「スーダン共和国」の旅。

2017年1月、スーダン共和国北部の小都市「カリマ」の続きです。

「カリマ」の街はずれに世界遺産ジェベル(ゲベル)・バルカルとナパタ地域の遺跡群」があります。紀元前660年頃のクシュ王国(古代ヌビアの都市国家)前期の都で、アモン神が生まれた聖なる山「ジェベル・バルカル」(98m)と「大アモン(アムン)神殿の遺跡」からなり、少し離れたところに王妃や王族の小さな「スーダン・ピラミッド群」があります。無料で見学出来ましたが、小さな博物館だけはチケットが必要でした。どこで買うのでしょう?
f:id:Seita75851833:20240108105023j:image                     「聖なる山」山の左下に遺跡があります。


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聖なる山の向こう側、少し離れた砂漠に「スーダン・ ピラミッド群」があります。
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f:id:Seita75851833:20240108110713j:image                     遺跡はバックにある「聖なる山」の向こう側になります。


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近くに保存状態の悪いピラミッド群もありました。
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夕景。
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カリマからナイル川を渡った隣町の地名は「メロエ」です。私はここをスーダンのもう一つの世界遺産「メロエ島の古代遺跡群」と間違えて行ってしまいました。乗り合いタクシーで約10分、5スーダンポンド(35円)。もちろん何もありませんでした。スーダンの情報はまだ少なく、間違っている場合も多くあります。
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f:id:Seita75851833:20240108114519j:image                     涼しい時期ですが飲み水が用意してあります。(右側)


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メロエで色々と聞いていたら、隣村(Nuri)にピラミッドがあるとの情報があったので行ってみる事にしました。ミニバス(ワゴン)で約15分、5ポンド(35円)。村はずれに保存状態の悪いピラミッド群がありました。グーグルマップでは「Nuri(Nori)ピラミッド」と出ます。近づくと二人の男がやって来て、入場料+カメラで70ポンド(450円)を請求されました。すぐに50ポンドに下がりましたが、うさんくさそうだったので引き返して、遠くから眺めるだけにしました。
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f:id:Seita75851833:20240108115044j:image                     右手にうさんくさい男二人が小さく写っています。


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大学生の団体がバスでやって来ました。
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「Nuri村」
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f:id:Seita75851833:20240108145044j:image                     空気を入れたビニール袋をタコ揚げの様にして遊んでいました。


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2017年1月30日8:00、カリマより「首都ハルツームへ向かいます。120ポンド(780円)、大型バスでした。
14:00、ハルツームのオムドゥルマン(旧市街)にあるバスターミナル着。ここから「ユースホステル」のある新市街へタクシーで向かいます。90ポンド(585円)、言い値から10ポンドしか値切れませんでしたが、スーダンでは旅行者に対してもボルことはあまりないと思われます。ハルツームの安宿は「ユースホステル」が有名で、ドミトリーは50ポンド(325円)です。しかし、今夜はスポーツ選手の団体で満室でした。庭でのテント泊も可能ですが、寝袋だけではダメでした。

とりあえず、まずは「レジストレーション(登録)」です。登録場所は空港にありここから近いですが、お役所仕事で時間がかかりました。そして登録料535ポンド(3480円)を請求されました。情報では300ポンド(1950円)のはずですが、申告期限(3日以内)オーバーの罰金が含まれているかも知れません。

次は宿探しで、安宿のある「ダウンタウン」に行きました。すぐに「青空ベッドのロカンダ(安宿)」が見つかりました。30ポンド(200円)。スーダンの「青空ベッドホテル」も話には聞いていました。
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翌日(1月31日)、ホテルチェンジ。やはり同じドミトリーでも青空ベッドは落ち着きません。そして新市街にあるユースホステルには行かないで、安食堂が多くある「ダウンタウン」で探しました。

「Gandoul Hotel」3人部屋を1人で100ポンド(650円)。部屋は明るくて小綺麗でしたが、トイレは汚かったです。
f:id:Seita75851833:20240108150250j:image                        
シャワー室は少しマシなのが別にありました。


f:id:Seita75851833:20240108150555j:image                     オーナー。
 

「首都ハルツーム」は人口約265万人(市街地)で、アフリカでは5番目の大都市です。ウガンダビクトリア湖からの「白ナイル」とエチオピア・タナ湖からの「青ナイル」の合流地点として有名です。2017年当時はまだ独裁政権時代で市内での写真撮影が制限されていて、注意をしていたので写真は少ないです。2023年4月に起こった内戦ではハルツームが主戦場になりました。
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f:id:Seita75851833:20240108161402j:image                         ゴミがいっぱいです。


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f:id:Seita75851833:20240108161646j:image                     側溝にフタがないところが多いので夜は注意です。


f:id:Seita75851833:20240108162600j:image                         不似合いなビル?


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f:id:Seita75851833:20240112092531j:image                    「グリルチキン・セット」20ポンド(130円)。ピラフ、生野菜、国民食フール(そら豆の煮込み)、アラブパン付き。

 

青ナイル。
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f:id:Seita75851833:20240109093021j:image                     観光船乗り場(Tuti橋)。青ナイルと白ナイルが混じり合う所へ行きます。ちなみに白ナイルの流れが強くて青ナイルに入り込んでいるので、ダウンタウンの近くでも見られるそうです。
 

白ナイル。
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f:id:Seita75851833:20240109095454j:image                     川沿いには畑があります


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f:id:Seita75851833:20240112092316j:image                     


f:id:Seita75851833:20240114102436j:image                     ナイル川で洗濯。



次回(1/31予定)はスーダンからエジプトに戻り、シナイ半島の「ダハブ」へ向かいます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(94)2017年1月 エジプト・アラブ共和国「アスワン」から「スーダン共和国」へ。

2017年1月、エジプト・アラブ共和国「アスワン」の続きです。

アスワンの街からナイル川をはさんで対岸にある「ヌビア村」(ヌビア人の集落)へ。前回の「岩窟墳墓群」遺跡の北側に村が広がっていて、家の壁には独特の絵が描かれています。
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f:id:Seita75851833:20231230092748j:image                     遺跡近くの小さなモスク。

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f:id:Seita75851833:20231230092926j:image                     厳しい気候なので水飲み場が用意されています。


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アスワン寸景
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f:id:Seita75851833:20231230093654j:image                     ナイル川での漁。


f:id:Seita75851833:20231230093833j:image                        「モスク」新しいです。


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f:id:Seita75851833:20231230094810j:image                         トランポリンで遊ぶ。

 

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f:id:Seita75851833:20231230095201j:image                         遺跡のネコ。

 

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f:id:Seita75851833:20231230095511j:image                     ホテル裏手にある小さな食堂の「グリルチキン定食」20ポンド(120円)。ピラフ、一品、ピクルス、エジプトパンが付いています。毎日利用しました。


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f:id:Seita75851833:20231230100342j:image                     他店の「ターメイヤ(そら豆のコロッケ)セット」10ポンド(60円)。サラダ、ポテトフライ、タヒーナ(ゴマペースト・パンにつけて食べます)、エジプトパン付き。 

 

2017年1月25日、アスワンから「スーダン共和国」へ向かいます。入国にはビザが必要で、カイロのスーダン大使館で申請すると日本大使館のレターが必要で、2ヶ月の観光ビザが100USドル、翌日発行です。アスワンの領事館ではレターは不要で50USドルです。が、5日位かかります。私はアスワンで申請しました。写真2枚とパスポートのコピーが必要で、3つのセクションを回されましたが簡単でした。領事館へはナイル川沿いのメインロード(コルニーシュ通り)からサハリ行きのマイクロバスに乗り途中下車します。2ポンド(12円)。

スーダン共和国」はアフリカで3番目の広さがあり日本の約5倍です。南スーダンの独立前は1番の広さでした。人口は約4565万人です。国土の大部分は乾燥した平原で、ほぼ中央をナイル川が流れています。北部のナイル川沿い(ヌビア地方)は約3000年の歴史があり、最盛期にはエジプト王国のファラオも輩出しました。2019年4月の軍事クーデターで30年続いた独裁政権が終わりましたがその後も混乱が続き、最近(2023年4月)も軍部内の利権争いで内戦が起こりました。国民性としてスーダンのホスピタリティの高さは昔から有名です。通貨はスーダンポンドで1ポンド=6〜7円。
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1月25日5:00、アスワンのマオガフ・バスターミナルからスーダン共和国の国境の街「ワディ・ハルファ」へ向かいます。180ポンド(1080円)。大型バス数台が出発しました。

9:00、アブ・シンベルの街近くから、ナセル湖を渡るフェリーにバスごと乗り込みます。
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f:id:Seita75851833:20231230115156j:image                     陸地に見える小高い山はアブ・シンベル神殿と思われます。


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f:id:Seita75851833:20231230115554j:image                     対岸に到着。

 

10:30、対岸に到着。後、約30分走って国境へ。ここでは現地の人の荷物検査で時間がかかりました(約半日)。エジプト出国時には空港並の身体チェックがあり、国税のようなものを払わされました。そしてスーダン入国時には「3日以内にレジストレーション(登録)をせよ」とビザ欄にスタンプを押されました。   

先を急ぐ人は国境から乗り合いタクシーを使います。30スーダンポンド(200円)。国境には両替屋がいてレートは悪くありません。

国境の街「ワディ・ハルファ」までは約30分。着いたのは日が暮れかかった夕方6時頃でした。すぐに明朝のカリマ(クレイマ)行きバスを予約して、そこで安宿(スーダンで「ロカンダ」)を教えてもらい投宿しました。

「ホテル・クレオパトラ」ドミトリー30スーダンポンド(200円)。大げさな名前ですが、2階のドミトリーはだだっ広い部屋に汚いベッドがポツ、ポツと置いてあるだけでした。蚊も多かったです。スーダンマラリアは大丈夫かな?

1月26日、6:00発のバスに乗るために5:30頃ホテルを出てバスターミナルに向かっていたら、バスの車掌がトゥクトゥク(タイの3輪タクシー)で迎えに来ました? 出発時間が過ぎているとの事です? よく聞いたらエジプトとは緯度は同じでも1時間の時差ありました。

「ワディ・ハルファ」→5時間「ドンゴラ」ミニバス乗り換え→3時間「カリマ」(クレイマ) 着。160スーダンポンド(1040円)。
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f:id:Seita75851833:20231231111924j:image                    「ドンゴラ」の街。ロバが活躍しています。


f:id:Seita75851833:20231231112058j:image                     「トゥクトゥク」も走っています。


f:id:Seita75851833:20231231112235j:image                         カリマ行きのミニバス(ワゴン)で乗り合わせたドンゴラの女子大生。休暇で故郷へ帰るところです。イスラム教徒の若い女性もすごくフレンドリーで、さすがホスピタリティの高いスーダン人です。名前を漢字に直してあげたりして楽しく過ごしました。


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カリマ(クレイマ)の宿は「ロンリー・プラネット」(外国の旅行ガイドブック)に載っていた「Al Nassr Hotel」ドミトリー30ポンド(200円)。まあまあきれいで居心地の良いホテルでした。ちなみにシングルルームは80ポンド〜(520円〜)。そしてここでは、外国人旅行者はまずポリスへ行って許可をもらいます。国境で言われた「レジストレーション」はここでは出来ませんでした。3日以内の期限がオーバーになりますが首都ハルツームでやるしかありません。ちなみに国境の街ワディ・ハルファでは可能でした。

「カリマ(クレイマ)」はこじんまりとして落ち着いた街です。近くに世界遺産の遺跡があります。

f:id:Seita75851833:20231231152206j:image                     中心部のマーケット。


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f:id:Seita75851833:20231231152400j:image                     カフェ。


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f:id:Seita75851833:20231231152638j:image                       中心部広場の食堂。

                    
f:id:Seita75851833:20231231152846j:image                     夜の広場。


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f:id:Seita75851833:20240102093056j:image                     スーダン国民食「フール」そら豆を使った煮込み料理で、味がうすいので塩などで味を整えて食べます。添えは生タマネギとアラブパン(アエーシ)。スーダンのアラブパンは柔らかくて美味しいです。

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f:id:Seita75851833:20240102093215j:image                    

朝食の「ターメイヤ(そら豆のコロッケ)サンド」と「ハイビスカス・ジュース(ガルカディ)」ハイビスカスはスーダンの国花です。

 

次回(1/15予定)はスーダン共和国・カリマの世界遺産(ピラミッド)と首都ハルツームです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

(93)2017年1月 エジプト・アラブ共和国 「アスワン」「アブ・シンベル神殿」

2017年1月、エジプト・アラブ共和国「アスワン」の続きです。

「アスワン」はエジプト南端の街で、そんなに大きくはありません。気候は砂漠性で厳しいです。この辺りからスーダンにかけてをヌビア地方と呼び、アラブ人(エジプト人)でもなく、アフリカ人(黒人)でもないヌビア人(ヌーバ族)を多く見かけます。私がここに来た目的は「アブ・シンベル神殿」とスーダンビザ取得及びスーダン行きです。
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アスワンの商店街「スーク通り」
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「岩窟墳墓群」は古代エジプトとローマ支配時代の貴族の墓です。ナイル川西岸(街の対岸)の丘の中腹にあり、渡し舟で行きます。舟代1.5ポンド(9円)は当然のようにぼるので注意です。入場料40ポンド(240円)はギザのピラミッド(80ポンド)と比べると高く感じます。
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丘の上の建物は廃墟(モスク?)です。


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f:id:Seita75851833:20231220170600j:image                     ナイル川上流、アスワンダム・アスワンハイダム方面。

 

街はずれにある古代の石切り場に長さ42m、重さ約1168トンの「切りかけのオベリスク」があります。完成していればエジプト最大になっていたそうです。入場料40ポンド(240円)、ここは特に高く感じました。

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f:id:Seita75851833:20231220171619j:image                     石に切り込みをつけてそこに「木のくさび」を打ち込みます。くさびを水で濡らすと膨張して石がきれいに割れます。

 

アブ・シンベル神殿」は今から約3300年前、古代エジプト新王国時代第19王朝のラムセス2世によって建造された大岩窟神殿で、1813年にスイスの探検家ブルクハルトによって発見されました。その後アスワンハイダム(1970年完成)による水没の危機を、ユネスコの国際キャンペーンにより、60m上方に移されて救われました(1968年)。この出来事によってアブ・シンベル神殿はより知られるようになりました。

神殿はアスワンの南約280km、スーダン国境近くのナセル湖のほとりにあります。ホテルからのツアーが便利ですが、ツアーと言っても片道3.5時間をミニバス(ワゴン車)による往復だけです。130ポンド(780円)、ホテルによって料金は違います。

早朝3:30集合(ホテル内)、4:00出発。
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7:30「アブ・シンベル神殿」到着。入場料115ポンド(690円)。
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「ナセル湖」アスワンハイダム建設によって出来た巨大な人造湖


f:id:Seita75851833:20231221101343j:image                     犬のお出迎え。


f:id:Seita75851833:20231221101648j:image                     岩窟神殿の前面に高さ20mのラムセス2世の巨像が4体並んでいます。


f:id:Seita75851833:20231221101722j:image                     


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f:id:Seita75851833:20231221172948j:image                    ラムセス像の頭上(枠の外)に日の出を喜ぶ「22体のヒヒ像」が並んでいます。
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ラムセス2世像の右側2体。
f:id:Seita75851833:20231221103041j:image                         


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左側の2体。
f:id:Seita75851833:20231221103707j:image                         右側は崩れて、下に転がっています。


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ラムセス2世像のひざ下には小さな「王妃ネフェルタリの像」があります。
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岩窟神殿入口の上部には「ホルス神像(天空の神)」が刻まれています。
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岩窟神殿内部は入ってすぐに大列柱室があり、オシリス神(冥界・再生復活の神)の姿をした高さ10mのラムセス2世の立像8体があります。そして両側の壁には、ラムセス2世の戦いなどのレリーフがありますが写真撮影は禁止です。
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内部の一番奥に小さな神座像4体が祀られている「至聖所」があり、2月22日と10月22日前後には入口からの朝日によって神像が照らされます。この日には入場料が2倍近くになります。

 

入口手前にもレリーフが描かれています。
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シリア人の戦争捕虜、首を縄でつながれています。


f:id:Seita75851833:20231221115326j:image                        こちらはヌビア人の捕虜、シリア人とは顔・体つきが違います。


f:id:Seita75851833:20231221115643j:image                         上下エジプト統一のレリーフ


f:id:Seita75851833:20231221115915j:image                     ラムセス2世像足元のヒエログリフ


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f:id:Seita75851833:20231221120211j:image                         落書き?

 

大神殿の右手にある「アブ・シンベル小神殿」は王妃ネフェルタリのために造られました。正面に王妃ネフェルタリの立像2体とラムセス2世の立像4体が並んでいます。
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f:id:Seita75851833:20231221160153j:image              

右端のラムセス2世像。


f:id:Seita75851833:20231221160352j:image                         右から2番目の王妃ネフェルタリ。


f:id:Seita75851833:20231221160647j:image                          3番目ラムセス2世。

                         
f:id:Seita75851833:20231221161051j:image                         中央に入口があり、内部には同じように列柱室・至聖所があります。


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f:id:Seita75851833:20231221164328j:image                         足元の小像は彼等の子供達です。


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9:30「アブシンベル神殿」から帰路へ。約2時間の見学は私には短かったです。

 

次回(1/5予定)はアスワンからスーダンへ向かいます。

ありがとうございました。