2018年3月 ウルグアイ東方共和国の滞在を終え、アルゼンチン共和国の首都ブエノス・アイレスに戻りました。そして、パラグアイ共和国との国境の街ポサーダスへ夜行バスで向かいます。約12時間、1000アルゼンチン・ペソ(6000円)。簡単な夕食付き(ピラフ・フライ物・パンケーキ)でした。
早朝、ポサーダスのバスターミナル着。バスはイグアスの滝観光の拠点となる街プエルト・イグアス行きでした。バスターミナルから約5km離れた国境へ歩いて行き、アルゼンチン出国。
パラグアイからアルゼンチンへ入国するバイクの列。出稼ぎ?
そしてパラナ川に架かる国境の橋(約2km)を歩いて渡ろうとしたら止められました。情報では歩いて渡れるはずでしたが、なぜかダメになったようです。近くのローカルバス乗り場で、対岸のパラグアイ・エンカルナシオン行が来るのを待って乗り込みます。22アルゼンチン・ペソ(132円)。アルゼンチン・ペソを少し残していたので助かりました。普通でしたら使い切っていたところです。残りはパラグアイで両替出来ました。
なぜかパラグアイ方面から歩いて来る人が?
「パラグアイ共和国」は南米大陸のほぼ中央に位置し、アルゼンチン、ボリビア、ブラジルに囲まれた内陸国です。面積は日本と同じ位で、人口は約700万人です。親日国で日系移民も多く住んでいます。人口の95%は先住民族グアラニー族とスペイン人との混血のメスティーソです。メスティーソは小柄で黒髪なので日本人にとっては親近感を覚えますが、フレンドリーさはあまりありません。 パラグアイの通貨はグアラニーで、100グアラニー=約2円です。ここまで来ると物価は安くなります。
「エンカルナシオン」はパラナ川沿いに広がる街です。パラナ川はブラジルのパンタナール湿原に発し、多くの川と合流して大河ラ・プラタ川となり、ブエノス・アイレス、ウルグアイ沖で大西洋に注ぎます。エンカルナシオンの起源は1615年にイエズス会士がつくった村で、郊外には世界遺産に登録されたイエズス会による伝道村の遺跡「トリニダー遺跡」があります。が、私は行きませんでした。
パラナ川。右手はアルゼンチン・ポサーダスの街、左手に国境の橋。
国境の橋。
対岸はアルゼンチン・ポサーダスの街。パラグアイ側はビーチになっています。
エンカルナシオン寸景。
エンカルナシオンに2泊して首都アスンシオンにバスで向かいます。5〜7時間、60000〜85000グアラニー(1200〜1700円)。料金は会社、バスの設備によってマチマチで、本数は多くあります。
バスターミナルには物売りが多く、この国の貧しさがうかがえます。
アスンシオンの宿は「民宿らぱちょ」へ。ドミトリー45000グアラニー(900円)。ですが2泊以上は40000グアラニーになりました。朝はパンが用意されていて、コーヒー・紅茶はフリーです。ここは元ライダーで世界を回った夫婦がやっていて、1階の日本食堂「菜の花」も経営されています。この時はご主人が日本に帰国されていて休業中でした。ドミトリーのみでベッド数が少ないので注意です。バスターミナルからは1.5km位です。ちなみに「ラパチョ」とは9〜12月にピンク色の花をつける街路樹の名前です。3月はイエロー・ラパチョの花が咲いていました。
イエロー・ラパチョの花。
「民宿らぱちょ」のペット犬。
ある日の夕食。赤ワイン1Lが8500グアラニー(170円)で売ってました。
首都「アスンシオン」は国土を二分するように流れているパラグアイ川のほとりにあります。人口の4分の1が集中している都会ですが、あまり近代化されていない落ち着いた街です。見所は少ないです。私は1980年以来、38年ぶりの訪問でした。パラグアイ川はエンカルナシオンからのパラナ川などと合流して大河ラ・プラタ川となります。
セントロのパラグアイ川。対岸への渡し船があります。
近くの大統領官邸。このまま建物まで歩いて行けそうです。
大統領官邸〜国会議事堂の裏手のパラグアイ川沿いはスラム街になっています。そして国会議事堂横の広場や駐車場はスラムやテント小屋で埋まっていました。
アスンシオン寸景。
レトロな市内バスです。
セントロの英雄広場。
みやげ物屋。
「パラグアイ」はグアラニー語で「鳥の冠をかぶった人々の国」の意です。
昼寝中?
メルカド4(クアトロ)。内部の建物部分に両替屋があり、余ったグアラニーを再両替できます。
今でも「ヘチマのたわし」を売っています。
サンド屋。軽い昼食に最適です。40〜100円〜。
パリージャ(焼肉屋)。
パラグアイは安食堂が多くあるので、気兼ねなく外食が出来ます。
牛肉シチュー風とマンジョッカ芋(キャッサバ)、10000グアラニー(200円)。
次回(2/25予定)はブラジル側イグアスの滝です。そしてスペインのバルセロナへ飛びます。
ありがとうございました。