ハンガリーの首都ブダペストからポーランド共和国南部の街クラクフへ向かいます。クラクフはナチス・ドイツの強制収容所跡「アウシュヴィッツ」への起点となる街です。そこで気が付いたのですがハンガリーとポーランドの間にはスロヴァキア共和国が横たわっていて、そんなに大きい都市ではないクラクフへの直通バスや列車の便が少なくて値段も高いのです。ここで、初めて買ったタブレットが役に立ちました。アプリ「GO EURO」で「Polski Bus」(ポーランドの格安バス会社)の安い夜行バスが見つかりました。ネット予約は私にはまだ無理なので「アンダンテ・ホステル」の人にやってもらいました。7.8€(910円)。ちなみに夜行列車2等座席は87€(10100円)でした。
2016年10月25日23:45 ブダペストの街はずれから出発。満席でした。日本でもそうですが格安バス会社は事務所もなく、一般道路などでの発着が多いので注意です。
10月26日6:50 ポーランド共和国クラクフ着。「Polski Bus」はポーランドの会社なのでメインのMDAバスターミナル着でした。ポーランドは10月7・8日のワルシャワ以来です。通貨はズウォティで1ズウォティ=約27円。
宿は「Hostel Faust」ドミトリー33.75ズウォティ(920円)。旧市街の中心となる中央広場に近く、部屋はきれいでシングルベッドでした。しかしキッチンはほとんど使えませんでした。ホテル予約も初めてなのでアプリ「Booking.com」で、同じく「アンダンテ・ホステル」でやってもらいました。
「クラクフ」は11世紀中頃から約550年間、ポーランド王国の全盛期に首都として栄え、ウィーン(オーストリア)、プハラ(チェコ)と共に中央ヨーロッパの文化の中心でした。第二次世界大戦での被害が少なかったので旧市街がきれいに残り、世界遺産です。
旧市街への入口「フロリアンスカ門」1300年頃。
フロリアンスカ門より中央広場方面。聖マリア教会が望めます。
「中央広場」
「中央広場」にある「聖マリア教会」1222年建立。
歴代ポーランド王の居城「ヴァヴェル城」
ヴィスワ川より。
旧王宮の中庭。
「ヴァヴェル大聖堂」ほとんどの国王の戴冠式が行なわれ、かつ墓所でもあります。
クラクフ寸景。
ビラ配り。
もうすぐハロウィンです。
街中でよく売られているリング状のパン「オブヴァジャーネック」。ベーグルと製法もよく似ています。
旧ユダヤ人地区(カジミエシュ)で売られていたオープンサンド。台は開いたフランスパンで、具は色々とあります。ボリュームあり。
「アウシュヴィッツ博物館(強制収容所跡)」へ。クラクフの西54kmの街オシフィエンチムにあり、MDAバスターミナルから約1.5時間、14ズウォティ(380円)。ブダペストの「アンダンテ・ホステル」で日本人ガイド(中谷さん)を強くすすめられ、予約をしてもらいました。これもタブレットのおかげです。約3.5時間で50ズウォティ(人数割りで 1350円)でした。近くのビルケナウ強制収容所にも行きます。やはり日本語解説付きは分かりやすいです。当たり前ですが。アウシュヴィッツ博物館は無料です。
ゲートには「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のスローガンが掲げられています。よく見ると最初の文字の「B」が逆さまにつけてあります。これは作業をさせられた収容者のせめてもの抵抗だったとされています。
内側より。
28棟の囚人棟があり、最大で28000人が収容されたそうです。
監視塔
有刺鉄線には380Vの電流が流されていました。
残された日用品。
はっきりしていませんが大量の髪の毛です。
「立ち牢」他に窒息牢、餓死牢などがありました。
「死の壁」銃殺刑が行なわれました。
「集団絞首場」
ガス室、焼却炉。
焼却炉の遺体置き場が後に「ガス室」になりました。
天井の穴から劇薬「チクロンB」が投入されました。
「チクロンB」
「焼却炉」
焼却炉で間に合わなかつた遺体は外で焼かれました。この写真は収容者の隠し撮りです。作業も収容者が行ないました。
元アウシュヴィッツ収容所所長「ルドルフ・ヘス」は1947年4月にガス室の前で処刑されました。
次回(7/20予定)はアウシュヴィッツの近くにあるもう一つの収容所「ビルケナウ」です。そしてチェコ共和国の首都プラハへ向かいます。
ありがとうございました。