70歳現役バックパッカー世界一人旅  写真日記

こんにちは〜コロナ禍で旅にも出られずヒマなのでブログを始めました。現在から1970年代 (沢木耕太郎の深夜特急の時代) まで遡ろうと思います。暇があったらのぞいてください。

(90)2016年12月〜17年1月 レバノン共和国の旅。

2016年12月28日 キプロス共和国ラルナカからレバノン共和国の首都ベイルートへ向かいます。前回にも記しましたが、ラルナカからベイルートへの直行便は到着が真夜中なので、ギリシャアテネ経由にしました。料金は少し高くなりますが、食事付きのエーゲ海の空の旅が楽しめます。
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12月28日8:00ラルナカ発、9:45アテネ着。エーゲ航空

17:00アテネ発、19:00レバノン共和国ベイルート着。到着時に1ヶ月のビザが無料で発給されます。

空港から市内(約10km)への空港タクシーの公定料金は35USドル(当時のレートで3700円)と高いです。しかし少し離れたところで乗ると交渉で15USドル〜になります。また夕方6時頃までなら幹線道路に出て安い市内バスに乗れます。以上は「地球の歩き方」の情報で、最近は空港タクシーの公定料金は15USドルになったそうです。私の場合は少し離れたところでタクシーを探したのですがなかなか見つからず、やっと見つけた車と交渉しましたが20USドル以下にはなりませんでした。暗くなってから着くと周りの状況が分からないので、旅行者の立場は弱くなります。

宿は「地球の歩き方」に載っている「タラルズ・ニュー・ホテル」   へ。予約はしていませんでした。ドミトリー17USドル(1800円)はシングルベッドでした。キッチンが有り。やはりレバノンの宿泊費は高めで、安宿は少ないです。
f:id:Seita75851833:20231110143157j:image                     
ある日の夕食。野菜のスープ煮、アラブパン約1kg・115円、缶ビール500ml・95円。

 

レバノン共和国」は四国の半分位の大きさで、人口は約560万人です。紀元前13世紀頃からフェニキア人の地中海交易で繁栄した歴史のある国です。通貨はレバノン・ポンド(LP)で当時のレートは100LP=7.5円。USドル払いも一般的です。最近のニュースでは2019年12月に日産自動車の元会長カルロス・ゴーンが裁判中にもかかわらず日本からレバノンに逃亡帰国しました。2020年8月にはベイルート港の倉庫に保管されていた化学薬品の大爆発があり、ベイルートの半分以上が被害を受け、死者も218人出ました。ベイルート港は私の泊まったホステルから200mのところです。そして最近(2023年10月)はイスラエルハマスの衝突で、レバノンイスラム武装組織ヒズボライスラエルを攻撃しています。
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「首都ベイルート」はかって「中東のパリ」と呼ばれる程に繁栄しましたが、1975年から15年間続いたイスラム教徒とキリスト教徒の内戦で街の半分が瓦礫と化しました。特にダウンタウン(旧市街)が主戦場になりましたが、今は復興して当時の面影は残っていません。

旧市街(ダウンタウン)の中心にそびえる「ムハンマド・アミーン・モスク」建物は新しいです。
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                        f:id:Seita75851833:20231110145143j:image                     隣に建つ「聖ジョージ教会」と。


f:id:Seita75851833:20231110145501j:image                         教会の壁画。


モスク周辺にはローマ遺跡が発掘されています。
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下町。
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海岸沿いにある「鳩岩」はなんでもない岩ですが一応観光名所です。附近にはレストランやカフェが並んでいます。
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「旧ホリディ・イン・ベイルート」の廃墟。1974年にオープンした有名ホテルですが、75年の内戦で閉鎖されそのままで残っています。
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f:id:Seita75851833:20231110151515j:image                     銃弾の跡があります。                    

 

2020年に大爆発があったベイルート港。
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世界遺産ビブロス」へ。ベイルートの北36kmにあり、ベイルート港そばのシャール・ヘロウ・バス&セルビス(乗り合いワゴン)ターミナルからトリポリ行きミニバス(セルビス)で約40分、途中下車します。2000LP(150円)。ビブロス遺跡は紀元前3000年頃、地中海貿易で栄えたフェニキア人が建設した世界で最古の都市国家です。そのほか新石器時代〜ローマ時代〜の遺跡が混在しています。ちなみにバイブル(聖書)の呼び名はこのビブロスから来ているそうです。またビブロスギリシャ名はパピルスで書物の意です。入場料8000LP(600円)。
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f:id:Seita75851833:20231110152501j:image                     遺跡の管理はあまり行き届いていません。

 

「ローマ時代の列柱跡」

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「十字軍の城」
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アーチ橋を渡って。


f:id:Seita75851833:20231110153620j:image                     入口。


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「ローマ劇場」
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オベリスク神殿」
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「紀元前20世紀の王家の墓」
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その他寸景。
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f:id:Seita75851833:20231110155850j:image                     対岸はベイルートの街。


f:id:Seita75851833:20231110155932j:image                     


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世界遺産「バールベック」へ。ベイルートの北東86km、シリアとの国境近くにあります。まずはベイルート港そばのシャール・ヘロウ・バス&セルビスターミナルの近くから空港方面行きのセルビスでアメリカン・ブリッジ(マタール又はコーラとも呼ばれる分岐点)へ行きます、1000LP(75円)。ここからバールベック行きミニバス(セルビス)で約2時間、5000LP(375円)。バールベックの街での宿泊も可能です。

「バールベック」(遺跡)は世界でも有数の大きさと優美さを持つローマ神殿跡です。基礎が築かれたのは紀元60年前後といわれています。入場料15000レバノン・ポンド(1130円)。
f:id:Seita75851833:20231111095333j:image                      
神殿入口。


f:id:Seita75851833:20231111095555j:image                         入口の列柱(前の写真の右側)。

 

少し進むと150✕110mの「大庭園」エリアがあります。名前とは異なり祭祀の場と思われます。中央に犠牲を捧げた2つの祭壇があります。
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f:id:Seita75851833:20231111160953j:image                         上の写真の石を外側から見たところ。

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大庭園より記念階段を上がった高台に「ジュピター神殿」があります。かっては85✕47mの基壇に高さ20m、直径2.5mの柱が54本並んでいましたが、今は6本が残るのみです。
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f:id:Seita75851833:20231111105550j:image                     雪をかぶったアンチ・レバノン山脈(シリア国境)と有名なレバノン杉と。

f:id:Seita75851833:20231111110233j:image                         裏側(内側)よりバッカス神殿を望む。

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バッカス神殿」ほぼ当時のまま残っています。ジュピター神殿より規模は小さいですが、アテネパルテノン神殿より大きいです。
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f:id:Seita75851833:20231111114138j:image                     左側面。


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f:id:Seita75851833:20231111153335j:image                         列柱よりジュピター神殿。

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f:id:Seita75851833:20231111152620j:image                         壁に倒れかかる柱。


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バッカス神殿の後部(内陣?)。
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その他。

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f:id:Seita75851833:20231111162752j:image                     ライオンの口には穴が開いていて、向こう側が見えています。

f:id:Seita75851833:20231111162340j:image                         小さな博物館があります。

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「ビーナス神殿」有料エリアの外(手前)にあるので無料で見られますが、柵で囲ってあるので中には入れません。
f:id:Seita75851833:20231111155233j:image                       奥の建物がメインの遺跡です。

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f:id:Seita75851833:20231111162004j:image                     街のモスク。

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次回(11/30予定)はエジプトのカイロに飛びます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(89)2016年12月 🇬🇷ギリシャ共和国「アテネ」、🇨🇾キプロス共和国「ラルナカ」。

2016年12月、ギリシャ共和国「首都アテネ」の続きです。

f:id:Seita75851833:20231025094237j:image                       アテネの見どころは、ほとんどがこの地図内に集まっていて徒歩圏内です。

 

「リカヴィトスの丘」(273m)に登るとアテネ市街、パルテノン神殿ピレウスの海が一望できます。頂上には教会があります。
f:id:Seita75851833:20231025094447j:image                     丘と言うより山です。


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f:id:Seita75851833:20231025095010j:image                     パルテノン神殿ピレウスの海。


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アテネの中心「シンタグマ広場」は1834年に最初の憲法(シンタグマ)が発布された場所です。
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f:id:Seita75851833:20231025100349j:image                     アベックのたまり場でもあります。

 

シンタグマ広場のすぐ横に「国会議事堂」があります。その前に「無名戦士の墓」があり、1時間ごとに衛兵の交代式があります。特に日曜日の10:50〜11:10は大規模に行われます。
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f:id:Seita75851833:20231025101407j:image                         壁のギリシャ文字古代ギリシャの歴史家ツキジデスの言葉です。


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素朴な「アギオス・エレフテリオス教会」12世紀。パルテノン神殿のふもとに広がる旧市街(プラカ地区)にあります。
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f:id:Seita75851833:20231025101900j:image                     裏は憩いの場所になっています。


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f:id:Seita75851833:20231025102144j:image                         素朴で小さい教会は他でも見かけます。


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アテネ寸景。
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f:id:Seita75851833:20231025102419j:image                     「中央市場」野菜を買ったらスーパーの方が安かったです。お釣りも少しごまかされました。


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2016年9月30日にバルト三国エストニア共和国の首都タリンからスタートした約3か月の「中欧の旅」はギリシャ共和国で終わりました。この先はキプロスレバノン→エジプト→スーダンイスラエル→ヨルダンと続きます。まずは東地中海の島国キプロス共和国へ向かいます。航空券のネット予約はまだ無理なので、旅行代理店めぐりです。観光立国ギリシャの首都アテネには昔から代理店が多くありますが、悪徳業者も多いので注意です。そして5〜6店をまわり、シンタグマ広場からすぐの安くて親切な代理店で買いました。「エーゲ航空」のアテネキプロス(ラルナカ)→アテネレバノン(ベイルート)です。ベイルートへはラルナカから直行がありますが、到着が真夜中で料金も少し安くなるだけでした。空港行きバス(24時間運行6€)もシンタグマ広場から出ています。

 

12月26日8:15 アテネ発、10:00 キプロス共和国ラルナカ着。
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f:id:Seita75851833:20231027153627j:image                     ラルナカ上空。手前は地中海、中央は湖です。

 

入国して空港ビル内でツーリスト・インフォメーションを探したら、イミグレの横、税関の手前にあったようです? 結局行けませんでしたが空港ビルの2階に空港関係のインフォメーションがあり、ここで地図がもらえ、ホテル紹介もやっていました?

空港から市内へは約6kmで路線バスがあります。運行本数は少ないです。1.5€(175円)、約20分。

宿は「オニシロス・ホテル」ドミトリー18€(2100円)。ドミトリーと言ってもトイレ・シャワー付きツインルームでした。ラルナカにはドミトリーのある安ホステルがありませんでした。またキプロスのコンセントは三又(ミツマタ)のBFタイプが多いので注意です。

キプロス共和国」は四国の半分位の広さで、人口は約125万人です。首都はレフコシア(ニコシア)で中央部にあります。1974年のキプロス紛争時は南部のギリシャ系と北部のトルコ系が争いました。現在は行き来ができますが、今でも北部のトルコ側での宿泊はできません。通貨はユーロです。
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「ラルナカ」は首都レフコシアの半分以下の人口ですが、国際空港があるのでほとんどの入国者はここに到着します。貴重な文化遺産があり、ビーチリゾートでもあります。

「ラルナカ要塞」ヴェネツィア時代からの砦で、中心部の海岸通りにあります。
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「聖ラザロ教会」イスラエルでキリストによって死から蘇生したラザロはキプロスに来て、この街で主教として30余年を過ごしました。そして再び亡くなったあと、

この教会に埋葬されました。
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入口は旗の下のアーケード部分にあります。


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f:id:Seita75851833:20231028095449j:image                         内部はイコン(宗教画)で飾られています。

   
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f:id:Seita75851833:20231028095949j:image                     ローマ時代のままで保存されている地下墓地。

 

教会で「洗礼式」をやっていました。プロのカメラマンが写真撮影をしていたので、私はその後ろで便乗して撮らせてもらいました。
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街のすぐ西側に「ソルト湖」(塩水湖)があり、冬にはフラミンゴや野鳥がやって来ます。夏は干上がります。
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ソルト湖の対岸には、1816年建立の「ハラ・スルタン寺院」(モスク)があります。イスラム教では4番目に重要なモスクらしいですが、参拝者や観光客はまばらでした。
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f:id:Seita75851833:20231028101502j:image                         木には信者のお祈りの布が結んであります。


f:id:Seita75851833:20231030113532j:image                         近くでたくさんのネコが飼われていました。

 

次回(11/15予定)はレバノン共和国です。

ありがとうございました。

 

 

(88)2016年12月中欧の旅 ブルガリア第2の都市プロヴディフ、ギリシャの首都アテネ。

2016年12月中欧の旅、ブルガリア共和国の続きです。

12月17日 2泊したヴェリコ・タルノヴォからブルガリア第2の都市「プロヴディフ」へ向かいます。バスは1日に3〜4便しかなく、ヴェリコ・タルノヴォのバスターミナルは2ヶ所に分かれているので注意です。約4.5時間(休憩が多く有り)、20レフ(1180円)。
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宿は「Funky Monkey Hostel」ドミトリー9€(1050円)、簡単な朝食付き。旧市街にあり、まあまあのホステルでした。

「プロヴディフ」はソフィアの南東125kmにあり、人口は約34万人です。約6千年の歴史があり世界最古の街のひとつとも言われています。紀元前4世紀にはマケドニア帝国の主要都市でした。その後、ローマ帝国ブルガリア帝国オスマン朝の時代を経て、各時代が複雑に同居する美しい街になりました。プロヴディフの位置するトラキア平原は比較的温暖な気候なので、雪はありませんでした。

「プロヴディフ旧市街」散歩。旧市街は3つの丘からなる起伏に富んだ地形で、芸術的な街でもあります。
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f:id:Seita75851833:20231012113336j:image                         モスクのミナレット(尖塔)は14世紀オスマン朝時代。模様がカラフルです。


f:id:Seita75851833:20231012120206j:image                         リムスキ・スタディオン広場にある「ローマ競技場跡」(手前の階段状部分)。今はその観客席の一部しか残っていませんが、当時は3万人が収容出競技場でした。

 

f:id:Seita75851833:20231012113459j:image                         「イマレット・ジャーミヤ」(モスク)、14世紀オスマン朝時代。


f:id:Seita75851833:20231012113901j:image                    「ローマ劇場跡」2世紀。

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f:id:Seita75851833:20231012113815j:image                    「ネベット・テペの遺跡」紀元前4世紀マケドニア時代の要塞跡。


f:id:Seita75851833:20231012113958j:image                        紀元前4世紀の要塞門。
 
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f:id:Seita75851833:20231012115301j:image                     1848年、民族復興期に建てられた富豪の屋敷。

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プロヴディフ寸景。
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f:id:Seita75851833:20231016103635j:image                     歩行者天国のメインストリート。

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f:id:Seita75851833:20231016103936j:image                         もうすぐクリスマス。

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スケートリンク
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ブルガリア美人。
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12月20日15:10 ブルガリア共和国プロヴディフからギリシャ共和国の首都アテネへ夜行バスで向かいます。「ツーリスト・サービス社」113レフ(6670円)、軽食・飲物付き。プロヴディフからアテネへは直接向かうと思っていたらソフィア経由でした。直行もある様ですが時間はあまり変わりません。
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17:45ソフィア着、18:00ソフィア発。

12月21日6:00 ギリシャ共和国の首都アテネ着。ギリシャは38年ぶりです。到着はバス会社のオフィス前で、待合室もある市内の便利な場所でした。(アテネ中央駅の南600mのKaraiskaki広場)。アテネには国際バスのターミナルがなく、各バス会社からの発着になるようです。

宿は予約をしていませんでした。少し前に出会った日本人旅行者から、アテネではパルテノン神殿前にある日本女性経営の土産物店で良い宿を教えてもらえると聞いていたのです。その為、まずはパルテノン神殿があるアクロポリスへ向かいます。
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ところがいくら探しても見つかりません。しかたなく「地球の歩き方」に載っている、アクロポリス近くのホステルを3〜4軒当たりました。クリスマス休暇中なので心配しましたが、なんとか安ホステルが見つかりました。

「ディオスクーロス・ ホステル」ドミトリー10€(1160円)、簡単な朝食付き。古い建物でしたが、トイレ・シャワーは新しくしてありました。WiFiはリビング兼食堂だけでした。

ここでまた、また、また事件が発生❗❗❗ ドミ部屋に置いていたバッグパックからウォークマンが盗まれました。鍵はかけていました。が、遊びが少しあり女性の指先を使うと可能と思われました。部屋に相客はなく、女性の掃除人が入ったあとでした。一応ホステルのフロントには伝えましたが……。

ギリシャ共和国」の人口は1070万人で、約300万人がアテネ首都圏に住んでいます。通貨はユーロで、当時のレートは1€=116円です。

「首都アテネ」のハイライトはなんと言ってもアクロポリスの「パルテノン神殿」とその周辺の遺跡です。しかし12月25日に行ったらクリスマスの為か閉まっていました。仕方なくパルテノン神殿を見上げながらアクロポリスを歩いて一周しました。それだけでも結構楽しめました。ちなみにアクロポリスパルテノン神殿は冬季(11/1〜3/31)の第1日曜日は無料です。
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アクロポリスとは「高い丘の上の都市」の意味です。そして154mの岩山の頂上にパルテノン神殿があります。


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f:id:Seita75851833:20231016111415j:image                     パルテノン神殿は1687年、ヴェネツィア軍の砲撃で大破しました。その修復作業は今も続いています。

 

アクロポリス及び パルテノン神殿近くの遺跡。
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「イロド・アティスコ音楽堂」紀元161年のローマ属州時代(紀元前27年〜紀元後323年)。観客席は6000あり、夏には演劇、オペラ、コンサートなどが上演されます。
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「ハドリアノスの図書館(跡)」2世紀頃(ローマ属州時代)。
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「ローマン・アゴラ」ローマ属州時代のアゴラ(市場)。ギリシャ文明の「古代アゴラ」は広大な敷地ですぐ近くにあります。アゴラは市場と約されていますが、当時は政治、宗教、経済、文化の中心でした。
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f:id:Seita75851833:20231016112836j:image                        「風の神の塔」八角形の大理石の塔で、天文学者アンドロニコスが建てた日時計水時計、風見です。上部の浮き彫りはそれぞれの方角の風の神。

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「ハドリアノス門」ローマ属州時代。
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「ゼウス神殿」ローマ属州時代。かっては104本のコリント式の柱がありましたが、今は15本です。
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次回(11/5予定)はアテネの続きと、キプロス共和国「ラルナカ」です。

ありがとうございました。

 

 

 

    

(87)2016年12月中欧の旅 ブルガリア共和国「リラの僧院」「ヴェリコ・タルノヴォ」。

ブルガリア共和国・首都ソフィアの続きです。

2016年12月13日 日帰りツアーでブルガリアの至宝及び世界遺産の「リラの僧院」へ。まずツアーが催行されるソフィアで一番有名な安宿「ホステル・ モステル」へ前日までに行って予約をします。そして当日の朝9時頃に再び行ってツアーが催行されるか確認します。最少人数は3人です。冬期なので心配しましたが、運良く5人のグループが参加したので計7名で出発です。ちなみに「ホステル・モステル」はドミトリー22〜26レフ(1300〜1540円)で朝食とグラスビール付きの夕食が含まれます。ロケーションも良くバックパッカーに人気です。

9:30出発、ツアー料金は20€(2320円)、リラの僧院まで約2.5時間。

「リラの僧院」はソフィアの南65kmのリラ山脈の山中にあります。10世紀にイヴァン・リルスキという僧が隠遁の地としたのが始まりで、やがてブルガリア正教の中心的な寺院となりました。現在の形になったのは14世紀で、イスラム教のオスマン帝国(朝)時代にも活動は黙認されていました。1833年の大火でほとんどの建物が焼失しましたが再建されました。個人でも行けますが交通が不便です。また僧院内に旅行者向けの宿泊施設があります。

最初に僧院から少し離れた山中にある、始祖のイヴァン・リルスキが修行した洞窟と小さな寺院に寄ります。雪が深くて寒かったです。
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洞窟。

 

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「リラの僧院」正門。
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f:id:Seita75851833:20231004093836j:image                         別の出入り口。

 

敷地の周囲は4階建ての外陣(僧房など)で囲まれています。往時には360の房に全国から集まった僧が寝起きして修行していたそうです。
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敷地内の中央にメインの「聖母誕生教会」が建っています。
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f:id:Seita75851833:20231004095405j:image                     

 

聖母誕生教会のすぐ左に「フレリョの塔」が建っています。1833年の大火ではこの塔だけが焼け残り、14世紀当時の壁画が残っています。
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「聖母誕生教会」の外回廊の壁いっぱいにフレスコ画イコン(聖画)が描かれています。東方正教会の教会にはキリストやマリアなどの彫像は置かれていません。代わりに壁や木の板に描かれたイコン❳があります。内部にも素晴らしいイコンがありますが写真撮影は禁止です。 
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12月15日 ソフィアからブルガリア中央部の観光地「ヴェリコ・タルノヴォ」へ。バスで約3時間、22レフ(1300円)。
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宿は「ホステル・モステル・ヴェリコ・タルノヴォ」ドミトリー20レフ(1180円)、朝食とグラスビール付きの夕食を含みます。「リラの僧院ツアー」で利用した、ソフィアの有名ホステルと同系列です。夕食は簡単な料理でしたが、朝食は良かったです。広いリビングがありゆっくり出来ました。
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ホステルのペット猫。玄関の外に寝床があり、中には入れてもらえませんでした。

                    

「ヴェリコ・タルノヴォ」は人口約7万人で、いくつもの丘に広がる古都です。1187〜1393年には第二次ブルガリア帝国の首都として栄え、最盛期にはバルカン半島のほぼ全域を支配していました。
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f:id:Seita75851833:20231004104211j:image                     美術館。


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f:id:Seita75851833:20231004104305j:image                     旧市街のメインストリート。


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「バザール」
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「ツァレヴェッツの丘」第二次ブルガリア帝国(1187〜1396年)の時代にはこの丘全体が宮殿でした。現在、丘の上にあるのは教会です。
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f:id:Seita75851833:20231005160332j:image                         門の手前にある堀と橋。


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「聖ディミタル教会」第二次ブルガリア帝国誕生のきっかけとなった場とされています。建物は1985年に修復されたものです。
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「ヴェリコ・タルノヴォ」寸景。
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f:id:Seita75851833:20231005160910j:image                       雪と遊ぶネコ。

f:id:Seita75851833:20231005160926j:image                         温かい車のボンネットの上でまどろむネコ。

f:id:Seita75851833:20231005160948j:image                     なぜか民族衣装のグループが歩いていました。

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次回(10/20予定)はブルガリア第2の都市プロヴディフとギリシャの首都アテネです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

(86)2016年12月中欧の旅 北マケドニア「オフリド」、ブルガリア「ソフィア」。

ふ2016年12月8日 北マケドニア共和国の首都スコピエから170km南にある、自然と文化の複合世界遺産オフリド及びオフリド湖」へ。バスで3〜3.5時間、520デナリ(980円)。
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宿は「City Inn Apartment & Dorm Rooms」ドミトリー8€(930円)、3種類から選べる朝食付き。ここは新しくてきれいで大きなホステルで、ドミトリーはゆったりとしたベッドの6人部屋でした。オーナーは日本人好きで色々と世話を焼いてくれました。今までに泊まった中では最高レベルのホステルでした。
f:id:Seita75851833:20230925112821j:image                       
暖炉のあるリビングでオーナーの弾き語り。

 

オフリド」の人口は約4万人で、中世にはスラヴ世界(東欧・バルカン半島・ロシア)におけるキリスト教文化の中心地として栄えました。素晴らしい教会が多くあります。

「サミュエル要塞」10世紀末〜11世紀初め頃、オフリドを首都としたブルガリア帝国の皇帝サミュエルによって建造されました。
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f:id:Seita75851833:20230925113548j:image                     アルバニアとの国境にそびえる山脈。最高峰は2764mの「コラブ山」


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オフリド湖」は琵琶湖の約半分の広さで透明度が高いです。約4分の1はアルバニア領になります。
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f:id:Seita75851833:20230925114328j:image                     船に落書き?


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f:id:Seita75851833:20230925114523j:image                     湖畔のカフェ。


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f:id:Seita75851833:20230925115043j:image                     魚釣り。


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オフリド寸景。
f:id:Seita75851833:20230925115502j:image                     バザール。

f:id:Seita75851833:20230925115601j:image                         

旧市街。

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「聖ソフィア教会」11世紀建立。オフリドを代表する教会でしたが、オスマン帝国の時代にイスラム寺院に転用され、キリスト教会に戻ったのは第二次世界大戦後でした。
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聖パンテレイモン教会」886年頃オフリドに来て、この地のキリスト教文化の基礎を築いた聖クリメントによって建立され、教育の中心でした。
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「聖クリメント教会」内部の13世紀末のフレスコ画の保存状態が素晴らしいですが、写真撮影は禁止です。
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「聖ヨハネ・カネオ教会」岬の先端に建つ小さな教会、13世紀。
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12月12日8:30 オフリドに3泊してスコピエに戻り1泊。そしてブルガリア共和国の首都ソフィアへバスで向かいます。980デナリ(1850円)。
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f:id:Seita75851833:20230927095957j:image                         北マケドニア内の街。

 

14:30 ブルガリア共和国ソフィアの中央バスステーション着。時差が1時間あるので5時間の乗車です。

宿は「Hostel 44」ドミトリー6€(700円)、簡単な朝食付き。中心部より少し離れた住宅街にありました。

ブルガリア共和国」の面積は日本の3分の1位で、人口は約700万人です。祖先は中央アジア遊牧民で、14世紀後半から約500年間はオスマン帝国(トルコ系のイスラム帝国)に支配されていました。が、その中でも美しいフレスコ画をもつブルガリア正教文化は引き継がれていました。ヨーグルトやバラも有名です。乳製品専門店舗ではヨーグルト500mlが0.85レフ(50円)からありました。やはり美味しかったです。通貨は「レフ」で当時のレートは1レフ=約59円。

首都「ソフィア」はブルガリアの西部に位置し、周囲を山に囲まれた標高550mの高原都市です。水は美味しいですが冬は冷え込みます。 

アレクサンドル・ネフスキー寺院」5000人を収容できるブルガリア最大で最も美しい寺院。ブルガリア独立のきっかけとなった、ロシア-トルコ戦争(1877〜78年)で戦死した約20万人のロシア兵士慰霊の為に建てられました。
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f:id:Seita75851833:20230929110022j:image                      右手側面。

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f:id:Seita75851833:20230927100533j:image                     裏側から左手側面。


f:id:Seita75851833:20230927100604j:image                         内部で写真を撮っていたら、やんわりと制止されました。


f:id:Seita75851833:20230927100623j:image                         豪華なシャンデリアは圧巻です。


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「聖ペトカ地下教会」建てられたのは14世紀で、イスラム教のオスマン帝国(朝)の時代です。その為か窓もなくて質素です。
f:id:Seita75851833:20230927100937j:image                     後方の建物は「旧共産党本部」


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「聖ゲオルキ教会」4世紀にローマ帝国によって建てられた、現存するソフィア最古の教会です。中に入るとなぜか落ち着けました。
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「セルディカの遺跡」地下鉄工事で発見された、2世紀のローマ帝国時代の城塞都市遺跡。無料で見られます。
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「大統領官邸」正午に衛兵交代式があります。
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ソフィア寸景。
f:id:Seita75851833:20230927102125j:image                         中心部に建つ「聖ソフィアの像」

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f:id:Seita75851833:20230927102210j:image                     バザール。

f:id:Seita75851833:20230927102230j:image                         焼きカボチャ、1レフ(59円)。

 

次回(10/15予定)はブルガリアの至宝「リラの僧院」とブルガリアの地方都市「ヴェリコ・タルノヴォ」と「プロヴディフ」です。

ありがとうございました。

 

 

 

(85)2016年11〜12月中欧の旅 モンテネグロ、アルバニア、コソヴォ、北マケドニア。

2016年11月28日 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォからモンテネグロの首都ポドゴリツァへ。
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9:00 東サラエヴォ・バスターミナル発、35マルカ(2100円)。前回にも書きましたが、東バスターミナルはボスニアと独立紛争を戦ったセルビア(人)共和国側の専用ターミナルです。ゆえにこれから行くモンテネグロは紛争当時セルビア側でした。
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モンテネグロに入ってからしばらくは世界遺産ドゥルミトル国立公園内を走ります。渓谷美(タラ渓谷)が素晴らしいです。
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15:30  モンテネグロの首都ポドゴリツァ着。

宿は「モンテネグロ・ホステル・ポドゴリツァ」ドミトリー9€(1050円)、簡単な朝食付き。ここは住宅街の中にある広い庭のきれいな一軒家で、ゆっくり出来ました。街のスーパーマーケットで安い惣菜を売っているので夕食に便利です。
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f:id:Seita75851833:20230919100844j:image                     ホステルのペット犬。

 

モンテネグロ」は福島県位で、人口は約62万人です。民族はモンテネグロ人45%、セルビア人29%でセルビア正教徒が約70%です。2006年に独立しました。通貨はユーロで当時のレートは1€=116円。

首都「ポドゴリツァ」の歴史はローマ時代以前に遡りますが、第二次世界大戦でほとんどが破壊され、歴史的な見所はありません。そして今回気がつきましたが私も写真を撮っていませんでした。一国の首都でこんな事は初めてです。街で安いタブレット(81€・9400円)を見つけて買い、セッティングに時間がかかったのも一因です。このタブレットは次の旅(2017年〜)の南米チリのサンティアゴで、またまたすられました。

 

11月30日10:45 2泊したモンテネグロポドゴリツァからアルバニア共和国の首都ティラナに向かいます。16.50€(1915円)、ミニバス。
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15:15 ティラナ着、4.5時間。街の中心部にあるバス会社の事務所前に到着しましたが、今は国際バスターミナルがあるようです。

宿は「@Home Hostel」ドミトリー7.25€(850円)、朝食付き。Wi-Fiがやや弱かったですが、キッチンが広くてまぁまぁのホステルでした。

「アルルバニア共和国」は四国の1.5倍位の広さで、人口は約281万人です。旧ユーゴ圏ではなくほとんどがアルバニア人の国です。長い間鎖国政策を取っていたので「ヨーロッパの秘境」と呼ばれ、観光ビザが不要になったのも最近です。社会主義時代には宗教活動が禁止されていたために、特定の宗教を持たない人が多いそうです。そして素朴です。通貨はレクで当時のレートは1レク=0.85円。

首都「ティラナ」は17世紀にオスマン帝国の領主によって築かれました。アルバニアは貧しい国との印象を持って来ましたが、ティラナは近代的で賑やかな都会なのでびっくりしました。カフェでくつろぐ人も多く、日本風の居酒屋もあり夕方には賑わっていました。ちなみに居酒屋には焼鳥・牛串などのつまみがあり、生ビールは1杯100レク(85円)でした。
f:id:Seita75851833:20230919101413j:image                     
ティラナの中心「スカンデルベグ広場」、正面の建物は「国立歴史博物館」


f:id:Seita75851833:20230919101657j:image                     「国立歴史博物館」正面のモザイク。


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f:id:Seita75851833:20230919102024j:image                         モスクにはめずらしくフラスコ画が描かれています。内部にも。


f:id:Seita75851833:20230919102116j:image                     オスマン帝国時代(15〜17世紀)の石橋。現在も使われています。

 

バザール。
f:id:Seita75851833:20230919102305j:image                     赤地に黒い双頭の鷲の布は国旗です。

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f:id:Seita75851833:20230919102556j:image                     七面鳥の散歩。


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f:id:Seita75851833:20230919102810j:image                     ある日の昼食、ファストフード店で。サラダ(215円)とロールサンド(130円)。

 

アルバニアは南部に世界遺産が2ヶ所あり、もっと旅してみたい国でした。

 

12月3日15:00 3泊したアルバニア・ティラナからコソヴォ共和国の首都プリシュティーナへ向かいます。1400レク(1190円)、大型バス。マケドニア共和国の首都スコピエに行く方が地図上では近いですが、山があって遠回りになる為か、料金も時間も倍位かかるので注意です。
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19:30 プリシュティーナ着。ここでまたまた事件発生❗❗ バスターミナルを出たところで男性二人組に「コソヴォにようこそ!」と抱きつかれ、この時にスリにやられたようです。ホステルに着いてから気がつき、被害は55€(6400円)でした。歳のせいかな? 

宿は「Prishtina Center Hostel」ドミトリー10€(1160円)、朝食付き。中心街に近く、小さいきれいなホステルでした。しかしエレベーターのないビルの7階にあり、荷物が多いと大変です。

コソヴォ共和国」は岐阜県位で人口は約180万人です。1998〜1999年のユーゴスラヴィア連邦(セルビア主導)とのコソヴォ紛争は有名で、2008年の独立宣言後も独立を認めていない国が多くあります。そしてヨーロッパで最も新しい国です。現在の民族はアルバニア人が92%、セルビア人5%ですが、紛争前はセルビア人が多く住んでいました。宗教は一応イスラム教で、通貨はユーロです。

首都「プリシュティーナ」はオスマン帝国時代のイスラム建築と近代の街並みが混じり合った独特の雰囲気があります。紛争の爪あとは残っていません。旧市街以外にイスラムの雰囲気はなく、メインストリートの名前は「マザー・テレサ大通り」です。
f:id:Seita75851833:20230919103018j:image                     「
マザー・テレサ大通り」通りの先には「マザーテレサ大聖堂」があります。


f:id:Seita75851833:20230919103151j:image                         マザー・テレサ


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コソヴォ美人。
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12月6日11:30 2泊したコソヴォ・プリシュティーナから北マケドニア共和国の首都スコピエに向かいます。5.5€(640円)。

14:00 スコピエ着。

宿は「ホステル・バレンティン2」ドミトリー6.5€(760円)。バスターミナルからほど近い、集合住宅の中にありました。

北マケドニア共和国」は旧ユーゴスラヴィア連邦から1991年に独立しましたが特に紛争はなかった模様です。以前からギリシャとは国名で論争があり、国名の頭に「北」が付いたのは2019年2月からです。通貨はデナリで当時のレートは1デナリ=1.88円。

首都「スコピエ」の人口は約50万人で、モスクと正教系の教会が入り混じった雑然とした街です。新しいショッピングセンターが数か所あり、中にフードコートがあるので便利です。

f:id:Seita75851833:20230919105020j:image                     スコピエの中心部に架かるオスマン帝国時代の石橋。


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f:id:Seita75851833:20230919105209j:image                        「ムスタファ・パシナ・ジャミーヤ」1492年。


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スコピエ城」11世紀〜。
f:id:Seita75851833:20230919105430j:image                      北マケドニア国旗です。


f:id:Seita75851833:20230919105609j:image                     スコピエ市街か見晴らせます。


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「オールド・バザール」(トルコ人街)
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マザー・テレサ記念館」(無料)。 マザー・テレサアルバニアカトリックの家庭に生まれ、18歳までスコピエで育ちました。ちなみにアルバニア人が多いコソヴォ共和国には名前を冠した大通りと大聖堂があり、アルバニア共和国ティラナの空港名はティラナ・マザー・テレサ国際空港で、市内にはマザー・テレサ広場があります。
f:id:Seita75851833:20230919110517j:image                     小さい記念館で、3階に礼拝堂があります。


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スコピエ寸景。
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f:id:Seita75851833:20230919111115j:image                     2階建てバスが走っています。ロンドンからのお下がりかな?


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f:id:Seita75851833:20230919111202j:image                     インゲン豆煮込みのオーブン焼き(タプチェ・グラフチェ)。素朴な食べ物が名物料理で、食堂で食べられます。

 

次回(10/5予定)は北マケドニアの観光地オフリド(湖)とブルガリア共和国ソフィアです。

ありがとうございました。

 

 

 

(84)2016年11月 中欧の旅 セルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴヴィナ。

2016年11月22日 クロアチア共和国の首都ザグレブからセルビア共和国の首都ベオグラードへ。
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9:00 ザグレブ・バスターミナル発、230クルナ(3550円)。 バスのトランクに荷物を預けるのは有料なので注意です。
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14:45 セルビア共和国の首都ベオグラード着。バスターミナルは鉄道駅の隣りにあり、乗車エリアと降車エリアに分かれています。

まずは宿探しです。駅の周りには安宿が多くあり、その中の駅前の古いビルの6階にある「Down Town Hostel」ドミトリー6€(700円)へ。セルビア人の長期滞在者が多い、雑然としたホステルでした。あとになって近くに4€のホステルを見つけました。
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ホステルの部屋からのサヴァ川と夕日。サヴァ川は少し先でドナウ川と合流します。

 

セルビア共和国」の面積は北海道位で人口は約700万人です。かっては旧ユーゴスラヴィア連邦の中心でしたが、1990年代からのの分裂で今では一共和国の存在となりました。 通貨はディナールで当時のレートは1ディナール=0.94円。

首都「ベオグラード」は旧ユーゴ時代からの首都で、バルカン半島の交通の要衝として紀元前からの歴史があります。が、幾多の紛争によって歴史的建造物はあまり残っていません。オーストリア(帝国)の影響が色濃く残るスロヴェニアクロアチアから来ると文化の違いを感じます。言葉に表わせにくい、どこかアラブ・イスラム世界に似た雑然とした雰囲気がありました。ちなみに宗教はセルビア正教徒がほとんどで、イスラム教徒は少数です。

「カレメグダン公園」は紀元前4世紀からの要塞跡にある広い公園ですが、残っている建造物などはほとんど18世紀以降のものです。
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f:id:Seita75851833:20230906093742j:image                     ドナウ川とサヴァ川の合流地点。ちなみにドナウ川はドイツ南部に端を発し10か国以上を通って黒海に注いでいます。

 

NATOによる空爆跡」コソヴォ紛争末期の1999年にユーゴスラヴィア連邦がNATO軍に攻撃されました。一部がそのままで残してあります。
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ベオグラード寸景。
f:id:Seita75851833:20230906094053j:image                     「国会議事堂」


f:id:Seita75851833:20230906094155j:image                     「聖サヴァ教会」セルビア正教(東方正教系)の中心的教会。


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11月24日 2泊したベオグラードからボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォに向かいます。

8:00ベオグラード発 2520ディナール(2370円)。
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セルビアドライブインでのヤギの丸焼き。今までの中欧諸国とは文化の違いを感じます。


f:id:Seita75851833:20230906094501j:image                     ボスニア・ヘルツェゴヴィナの街?

 

16:00 1時間遅れで東サラエヴォ・バスターミナル着。東バスターミナルはセルビアボスニア・ヘルツェゴヴィナ内のセルビア人共和国地域からの専用ターミナルです。市内までトロリーバスで約30分。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」は1992年に独立宣言をしましたが、ユーゴスラヴィア連邦(セルビア主導)との間で悲惨な戦い(ボスニア紛争)が1995年まで続きました。主な理由はボスニャック人(イスラム教)44%、セルビア人(セルビア正教)31%、クロアチア人(カトリック)17%の複雑な民族構成です。3民族の外見や言語での差異はほとんどありません。その為に国内はボスニャック人の住むボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦地域とセルビア人が住むセルビア人共和国地域に別れていて、政治体制もこのふたつの地方政体によって構成されています。バスターミナルが行先によって別れているのはこの為です。通貨はマルカで当時のレートは1マルカ=約60円。

首都「サラエヴォ」はオスマン帝国以来商業で栄えた街でした。一部にセルビア人共和国地域があり、1992年からのボスニア紛争では悲惨な戦場となり、1万人の犠牲者が出ました。盆地状の街を包囲されての兵糧攻めや、離れたビルから狙撃される「スナイパー通り」のニュースは記憶に新しいところです。

宿は「地球の歩き方」に載っていた「ホステル・スルツェ・サラエヴォ」ドミトリー11マルカ(660円)。ここは便利な場所にありましたが、明日が満室のため1泊だけになりました。新しい宿はこのホステルが紹介してくれます。 

翌日(11/25) 事件発生❗❗❗ 朝起きてサイフを見たら24€分(2800円)のマルカ札がなくなっていました。睡眠中に抜かれたと思われますが、サイフを入れたズボンは枕の下に敷いて寝ていました。トイレに行っている間にやられたのかな? サイフが返してあったのはなぜ? 当夜のドミトリーの宿泊者は少なかったです。安ホステル、特にドミトリーではままある事なので注意です。

新しいホステルへ。「Travellers Home Hostel」ドミトリー13.65マルカ(820円)。ここは前のところより少し高いですが、きれいで良かったです。なぜか日本人・アジア人が多く泊まっていました。おすすめです。

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ホステルのペット猫。

 

「旧市街」はイスラム教、セルビア正教カトリックユダヤ教など多様な宗教、民族、文化が混じり合い、中近東の雰囲気があります。写真はすべてモスクになってしまいましたか、キリスト教会やシナゴーク(ユダヤ教会)が混在しています。
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f:id:Seita75851833:20230906095225j:image                         水飲み場(セビリ)。   


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丸屋根は旧絹取引所。


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f:id:Seita75851833:20230909152636j:image                     職人街。


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「モスク」
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f:id:Seita75851833:20230906100339j:image                         
モスクにいた子ネコ達。


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サラエヴォ寸景。
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f:id:Seita75851833:20230906100731j:image                     「1984冬季オリンピックサラエヴォ大会」の聖火。社会主義国で初めての冬季オリンピックでした。が、8年後に内戦となりました。ちなみに1980年はモスクワオリンピックでした。

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f:id:Seita75851833:20230906101106j:image                     子供の物乞いが多くいました。

f:id:Seita75851833:20230906101131j:image                     「チェヴァプチチ」バルカン半島で広く食べられているファストフードの炭火焼き肉団子。ボスニア風は薄焼きパンに挟んで出されます。添えは生タマネギ。7€(810円)。ヨーグルトドリンク(アイリャン1€)が付きものです。物価の割りには高い気もしますが、店ははやっていました。

 

サラエヴォ事件」1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇嗣夫妻が訪問中に暗殺され、これを機に第一次世界大戦が始まりました。学校で習ったのをかすかに覚えていましたが、その現場がサラエヴォだったのをあらためて知り、感慨深いものがありました。
f:id:Seita75851833:20230906101259j:image                     暗殺現場近くのミラャツカ川に架かるラテン橋。

f:id:Seita75851833:20230906101326j:image                     ラテン橋を渡ってすぐ右手のビルの前が現場です。今は博物館になっています。

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f:id:Seita75851833:20230906101443j:image                       犯人はボスニア党のセルビア人青年。   

「スナイパー通り」ボスニア紛争時、サラエヴォは内戦状態でした。セルビア側に近い大通りを歩く子供を含むすべての人が、セルビア側の高層ビルから狙撃され多くの人が命を落としました。
f:id:Seita75851833:20230906101839j:image                     「スナイパー通り」道路右側の歩道を歩いていると、写真に写っていない左手奥のビルから狙撃されました。

f:id:Seita75851833:20230906101927j:image                         壁に弾痕が残っています。

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「スナイパー通り」を歩いたあと、少しセルビア側に近いところを流れるミリャツカ川沿いに行ったら、凄まじい弾痕が残る家屋が並んでいました。この川が最前線だったと思われます。
f:id:Seita75851833:20230906102801j:image                     ミリャツカ川。右手がセルビア側。


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「オリンピック・スタジアムの墓地」スタジアムの補助グランドだった場所が内戦犠牲者の広大な墓地になっていました。メイン会場は手つかずのまま放置されている様な感じでした。
f:id:Seita75851833:20230906103554j:image                     オリンピック記念塔。


f:id:Seita75851833:20230906103646j:image                     奥にメイン会場があります。


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サラエヴォ中欧で最も印象深い街のひとつでした。

 

次回(9/25予定)はモンテネグロアルバニアコソヴォの予定です。

ありがとうございました。