2017年2月14日13:30、エジプト・アラブ共和国シナイ半島西端の街「ターバー」のバスターミナルからイスラエル国境へ。徒歩で約10分。前回に記しましたが、スーダンからエジプトへの再入国時にビザのシールが無かった為に払わなかったエントリー(アライバル)ビザ代25USドルをエジプト出国時に請求されて払いました。出国税はありませんでした。そして予想に反して国境にいるはずの両替屋が一人もいません。多分、イスラエルを出入国するエジプト人や旅行者が少ない為と思われます。残ったエジプトポンドは悪いレートですがイスラエル国内でなんとか両替出来ました。
イスラエル入国ではイミグレの係員からじっくりと質問攻めを受けました。イスラエルの入国記録がパスポートにあると入国が難しい国があるので入国スタンプを押さないてほしいと頼む場合があるそうですが、ここでは何も言わないでも入国スタンプは押されませんでした。代わりに滞在許可証が発給されました。しかし、エジプト・ダーバーからの出国スタンプがあるのでイスラエル入国の有無は調べると分かります。
国境から「エイラット(エーラト)」の街までは市内バスがあります。4.2シェケル(130円)。セントラルバスステーションまで約30分。イスラエル通貨は「シェケル」で1シェケル=約31円。
「イスラエル国」の面積は日本の四国位で人口は約940万人です。ユダヤ人とパレスチナ人の複雑な歴史があり、今はイスラム組織(パレスチナ過激派)ハマスとの紛争が泥沼化ています。
「エイラット」はイスラエルの最南端に位置し、アカバ湾(紅海)に面しているのでイスラエルで一番のリゾート地です。ヨルダン・アカバとの国境でもあります。
宿は「コリーン・ホステル」ドミトリー60シェケル(1860円)。急にヨーロッパ並に高くなりました。アート作品が多く飾ってあるまあまあのホステルでした。近くに新しくて眺望の良い「アラバ・ホステル」(ドミトリー65シェケル)があります。
「エイラット」寸景。
対岸はヨルダンです。
波止場にはネコがいっぱい。
小さなビーチ。
街のすぐそばに空港があります。
隣町のヨルダン唯一の港町「アカバ」
2月16日10:00、エゲッドバス(イスラエル全土をカバーするバス会社)で「エルサレム」へ。70シェケル(2170円)。死海沿岸を通りました。
14:30、エルサレムのエゲッドバス・セントラルステーション着。バスステーションから旧市街にあるホステルまでは新市街のメインストリート「ヤッフォ通り」をぶらぶらと歩いて行きました。(小1時間) 路面電車も走っています。
宿は「チェーン・ゲート・ホステル」ドミトリー60シェケル(1860円)まあまあの朝食付き。旧市街の細い路地奥にあり、「神殿の丘」「岩のドーム」のすぐそばにありました。もちろん壁があるので岩のドームは見えません。中は二段ベッドが雑多に並んだ狭っ苦しい部屋で男女混合です。トイレシャワーも少なく、共有スペースや食事をする場所も限られていました。キッチンもないので、他のホステルに替わろうと思いながら、結局6泊(エルサレム滞在中)もしてしまいました。
二段ベッドの上段より。
昔から有名な、三食付きで支払いは個人まかせのドネーション(寄付)方式のホステル「イブラヒム・ピース・ハウス」へ見学に行きました。同宿の若い日本人男性が後日そこに行くつもりなので事前チェックについて行きました。朝10時頃でしたが朝食中で、私達の分も出してくれました。美味しかったです。しかし、みんなで食卓を囲むので言葉が通じないとコミュニケーションが大変そうです。今はドネーション方式はなくなり、100シェケル(3100円)になっていました。場所は旧市街横にある「オリーブ山」の上にあり、急坂を登って行きます。もちろんバスもあります。オリーブ山には史跡が多くあり、旧市街の眺めは素晴らしいです。
「エルサレム旧市街」はエルサレム発祥の地で城壁に囲まれ、8つの門があります。ちなみに城壁が現在の形になったのは1537〜41年です。中にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地があり世界遺産です。一部を除き車も走っていません。
オリーブ山より。中央の金色の丸屋根がイスラム教の聖地「岩のドーム」です。
「ヤッフォ門」新市街のメインストリート「ヤッフォ通り」に続いています。
「ダマスカス門」最も賑わっている門で、シリアのダマスカスまで続いていました。
「聖ステパノ門」別名ライオン門。
まずはユダヤ教の「嘆きの壁」へ。嘆きの壁を越えた向こう側(東側)にユダヤ教・キリスト教の聖地「神殿の丘」が広がっていて、今はイスラム教の聖地「岩のドーム」があります。かって、ここにはユダヤ教の神殿が建っていて、西暦70年にローマのティトス将軍によって破壊されました。その後のユダヤ人は残った西の壁(嘆きの壁)で年に1度祈れるだけになりました。1948年からはヨルダンの管理下になった為ユダヤ人は壁に近づくことも出来ませんでした。そして1967年6月7日の第三次中東戦争後に、ようやく1900年ぶりに自由に祈れるようになりました。
壁の高さは21mで、右手の一角が女性用です。
壁の前で聖書を詠みます。
石のすき間にはさんであるのは悲願を書いた紙です。
帽子は必携です。ない時はキッパ(ユダヤ教徒がかぶる小さな帽子)を貸してくれます。壁に生えているのはヒソプの草です。
女性信者。
女性兵士。
結婚報告。
嘆きの壁のうしろ側にある建物と。
ユダヤ教・キリスト教の聖地「神殿の丘」とイスラム教の聖地「岩のドーム」へ。イスラム教徒以外の神殿の丘・岩のドームへの入口は「嘆きの壁」のすぐ右手にある「モロッコ門」だけです。「岩のドーム」はメッカ、メディナに次ぐイスラム第3の聖地で、ドーム内に入れるのはイスラム教徒だけです。ちなみにドームの屋根が金メッキになったのは1964年です。
写真を撮ってそろそろ出ようとした時、イスラム教徒の係員が来て厳しく叱責され、つまみ出されました。本当に首根っこをつかまれて出されました。言葉が分からないので理由が分かりません。もちろん岩のドーム内には入っていません。ひょっとしたら岩のドームがある小高い丘にも異教徒は入ってはいけないのか、写真禁止かも知れません? あるいは神殿の丘全体が写真禁止かも? ちなみに「地球の歩き方」には「📷内部不可」とあります。私はこれを「岩のドーム内のみ不可」と解釈しましたが? デジカメ内の写真は消されませんでした。
ありがとうございました。